京都小学生殺害事件(きょうとしょうがくせいさつがいじけん)は、1999年(平成11年)12月21日に、京都府京都市伏見区の京都市立日野小学校で起きた殺人事件。

校庭で遊んでいた2年生の男児A[注 2]が、男O・H(当時21歳:以下「O」)に刺殺された[6][1]。Oは「私を識別する記号→てるくはのる」などと記した犯行声明を現場に残し逃走。翌2000年(平成12年)2月5日、警察がOを訪ね任意同行を求めたところ、Oは捜査員の隙をついて逃走し、高層アパートの屋上へ逃げ込んで飛び降り自殺を遂げた[11][12]。
加害者Oは12月21日、京都市立日野小学校の放課後の校庭へ侵入し、遊んでいた2年生の男児Aを文化包丁で刺殺。「私を識別する記号→てるくはのる」などと記した犯行声明を、その他の遺留品と共に校庭に残して逃走した[2]。京都府警捜査本部は翌年2月5日にOの家を訪ね任意同行を求めたが、Oは近所の公園で説得を受けている最中に突如逃走し、向島ニュータウン屋上から飛び降り自殺した[11]。

Oは高校を卒業した後、執拗に卒業の取り消しを求めており、残された多くのメモからも学校教育に不満を抱えていたことがわかった[1]。しかし、何故自分と関わりのない日野小学校を白昼に襲撃しAを刺殺したのかについては明確に理由を記したものがなく、結局動機は不明のまま書類送検となった[15][16]。また、任意同行を求めている最中に犯人に逃走され自殺されてしまうという、京都府警の失態は批判を浴びた[16]。
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