他人の行動や発言への許容範囲。自分の行動や発言の許容範囲
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神経質な完璧主義の人間はその範囲が狭く、短期で大雑把な人間は広いとされる お前らにわかりやすくいうと
レオラオには気軽に話しかけていいけど、クラピカには言葉とか仕草とか慎重に選ばないとキレられる 対称性の話は無いの?
他人に対する基準と自分に対する基準が必ずしも一致しているとは限らない クラピカは他人を無神経に煽るが
自分に対する煽り耐性はゼロ でも神経質かつ完璧主義のやつは特定の人物の行動や発言はすべてを許す反面、短気で大雑把な人間は親しき仲にも礼儀ありみたいな概念があったり >>10まさにスレタイの話だろ?
自分は不機嫌になってもキレても許させると思ってるからキレる。自分の行動や発言の縛りが緩い 結局な話生きてくうえで神経質な人間と関わってもろくなことがなくてな。関わるとしたら利害関係が一致したときのみ 翻って只の台詞、行動だから
それを見る基準を指定してしまえば変わらない
思想が同じなら
自分でどうでもいいと思ってる物は100%他人にとってもどうでもいい
滅茶苦茶当たり前で、皆起きないと思ってるこれが実際には起きる 自分に緩く他人には狭い
自分に緩く他人にも緩い
自分に狭く他人には緩い
自分に狭く他人にも狭い
少なくともこの4パターンが想定できてそれぞれ違う人格の傾向に振り分けられる
なので>>7的な見解よりもうちょっと複雑になると思う でももし
神経質で完璧主義、かつ実力がなく無知な者同士が強制的にかかわることになったらさ、憎しみはそいつらの中で増幅していく
なにしろ相手の些細な事は許せないのに自分はキレ散らかすけどルールさえ守ってれば自分が正しいと思ってる者同士 でもそういうタイプは6人に一人はいるけどさら、神経質なのがいい方向に向いてるやつは少なくて、完璧主義がエセじゃない人間も少ない
だからたいてい勘違い野郎同士の憎しみ合いになるから
神経質✕神経質のマッチアップは本当に良くない なんでかっていうと、その手のタイプはエセ完璧主義だから互いの粗を指摘し合うようになり、エセ完璧主義者だから他人の成果にケチをつける
結局野の知り合い、認め合わず、憎しみ合うのに誰も自分を認めないと 上に書いた自他の両者の間で対称性が見られる傾向にある人格は
より公共的な前提を共有しようとする傾向にある、つまり基準が自分にない
一方で対称性が見られないタイプの人格は公共でなく個人に基準を置く
>>16に上から適当に印象を割り振ると
自己中
おおらか
苦労性
神経質
このなかでおおらかと神経質が公共的
自己中と苦労性が個人的で対になってる
公共的とはみんながどうあるべきかという共有されたルールを重んじ
個人的とは自分がどうありたいかという共有されない自己ルールを重んじる傾向にあると思う >>23そうそう
人は見下したやつや嫌いなやつはすべての悪い属性合わせ持ってると思い込みがちだけどさ、自己中と神経質を悪い形であわせ持つとかそうそうないんだよね そんで相性悪い同士のマッチアップでもみんな大人なんだから結局上手い距離感保って衝突を避ける
でも神経質なエセ完璧主義者だけはどんどん粉を巻いて周りも巻き込む 嫌いならダメな理由なんて探す必要なくね
黙って距離を置けばいいだけ 抱かれて上気になってるから遠慮なく叩けるけど嫌いになるには理由がいる程度に執着は残っている ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています