自分の話しする
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1スペック
男、37歳、既婚、中卒
180cm/77kg 建築士の父と、銀行員の母の元に生まれる、
4歳上の姉がいる。
生まれた時は団地住まいで、団地道路で良く遊んでる姉を追いかけてた。 もう話がめちゃくちゃですよもう少し練ってからお願いしますね ある日、遊んでる姉を三輪車で追いかけてたら、バランスを崩して転倒、右肘脱臼の怪我をした。
ただ、怒られる気がして、必死に痛みに耐えて隠した。
翌朝、右手を一切使わない俺に母親は気付く、一晩痛みに耐えたが限界を迎え、母親に肘が痛くて右手を動かせないと泣きながら伝えた。 >>4 文才ないから、読み苦しくてごめんね。
ただ自分の人生を書いてみたくなって。 すぐに近所の病院に連れて行かれ、脱臼した肘をいれてもらいました。
母親からは怪我した時は隠したり我慢するなと怒られ、姉もとばっちりで母親に怒られた。
姉には、俺が口止めして、黙っててくれたのに、申し訳なかった。 月日は流れ、幼稚園に入る頃、一軒家に引っ越した、中古の築10年ほどの家。
姉と自分にはそれぞれ部屋が与えられ喜んだ。
ただ、引っ越しを終えてから、母親が病院に通い始めて、父が仕事を休んで付き添う事が増えた。 年長になると、母親は入院する事になり、俺と姉は父の実家に預けられ、
父が通勤の時に姉を学校迄送る生活が始まった。
父と姉が夜に二人で父の実家に帰ってくる。
俺は、幼稚園に行けず庭で遊んだり、スーファミしたりして時間を過ごした。
父親から、毎日2冊絵本を読むことだけ約束させられた、お婆ちゃんが一緒に読んでくれた。 たまに、母親の見舞いに病院へ行った、姉は母親と学校の事や友達の事を話したりして、ちゃんと報告出来ている。
年長の俺は、いつ帰って来る?位しか話す事が出来ない。
そんな中、母親は、クリスマスは自宅でパーティー出来るよと言って、抱っこしてくれた。 クリスマスは、本当に自宅でパーティー出来た、
嬉しかった、サンタさんからのプレゼントよりも家で皆で過ごせる事が本当に幸せだった。
家族最後のクリスマスだと思いもしなかった。 >>14ごめんね、思い立って書き始めから。
生暖かい目で見てくださいm(_ _)m。 次の年の4月入学式、母も父も二人で参加してくれた。
無事入学式も終わって、姉と同じ通学班で登校、なんか嬉しかったし姉が居るから、小学校に対する恐怖とか不安は無かった。
5月になると、母はまた入院した、父も毎日言えばに居た、俺等が学校行ってる間に病院へ行ってたみたいだけど。 運命の日、5月15日。
起きたら、父が隣に座って居た、二段ベッドの下に姉を呼び、俺の隣りに座らせた、父は、母が亡くなったことを涙しながら伝えてくれた、姉は薄々気づいてたみたいだけど、大号泣。
俺は、母は治ったから自宅で過ごしていたと思っていたので、理解が出来ない、ホント「?」だけが浮かんだ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています