理論的に話せるやつだけ来てくれ
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葬式の時に坊さんの存在いる?
数珠いる?
喪服いる?
宗教の信者でもないやつがいる?
なんのために?
常識というやついるけどなんの常識なんだ?
こいつらのビジネスに意味もなく貢いでるだけ?
どっかの女から壺売られるのと同じじゃね? >>3
確かに多すぎだ
ただ小出しにするのもあれだと思って >>6
つまりそういうのが信者だよな
信者なら別にいいよ >>7
信者はいいよ
>>8
好きにしていいぞ
自由だしな >>11
つまり洗脳みたいなもんだよな
脳死でやってることだよな 火葬して無縁仏が一番だけど寺にあるからな
お経要らんとは言えんだろ
海にでも撒けばよろし あらゆることをするのに必要性の証明が必要なのね。それが必要なのに、自分で証明するスキルがないのはおかしいね。何で必要性の証明が他人任せなの? 心の平穏
というものが根底にありそれは理論により構成されるものではない
よって理論的に話せるという前提が誤りである いらないよ
例えばポーランドでもカトリック教会が多すぎて教会が金のことばかり考えてるから反発して無神論者が生まれる
仏教やキリスト教を尊重するなら尚更拝金主義は徹底排除するべき >>14
そう思う理由は?
>>15
証明できないならする必要ないよな
>>16
だよな
>>17
俺はニートじゃないぞ ちなみに統一教会は団体としての犯罪行為が裁判所に認められているお墨付きの反社だからね… >>19
別に宗教は否定してないよ
>>20
心の平穏って理論的じゃね?
ちゃんとした理論だよ
>>21
あると思うけどなで脳死で着てるのか
>>22
いらないよな >>23
だよな
>>25
納骨も必要ないな
墓も必要ないしな
>>26
それはいかんな その理論ですべてが完結すると信じてるのも宗教なのだよ >>29
俺はただ脳死や洗脳での常識をなくしたいだけだよ
もちろん信者やそういうのわかっててやってるならそれ以上言わない >>27
心の平穏に関する説明は理論的に話せるだろうが
心の平穏そのものを構成する感情の内訳は理論的に分解し説明することは現在の人類の科学的知見では不可である >>27
まず「宗教」が道具であることを前提として聞いてくれ
世界には色んな宗教があり色んな教義がある
「豚の肉を食うな」とか「毎日お祈りをしろ」とか様々な協議があるし統一性はあまりない
けど「ある事柄」だけは絶対にどの宗教にも回答が存在する
その「ある事柄」が「生と死」だ 社会人なんか
じゃあちゃんと反葬式的行動はしてるんだろうな!? >>33
まあそうだな
でも人がそう感じるならいいんじゃね?
ただ俺は数珠やお経で心の平穏くるとは思わないけどな
まあくるやつはそういのやったらいいけど俺みたいなやつが大半じゃね >>34
うん
>>35
うん
>>36
もちろん >>39
葬式の時に「お経意味ある?喪服意味ある?数珠意味ある?この宗教の信者なの?」って小馬鹿にした感じで聞いて回ってる >>37
そうではない
と言う意見の者が多数居るため文化、事業として成立し受け入れられている
単純な多数少数の話で言うなら日和見が多いと言えそうな気はするが、これはデータを取ってみなければわからない俺の勝手な想像でしかない 仮に身内が死んだ時に葬式をするかしないか
しない場合に発生する問題
あるいはするけど坊さん呼ばないとかしきたりを無視した葬式をした場合に発生する問題を考えてみよう
身内というのが具体的に誰か、その死んだ身内の周りにいる人間まで想定して考えよう 信者なきゃやる必要ないと思うけど
地位ある人だと人集められるタイミングだし
それなりに有効活用できる場なんじゃないか >>43
女からしきたりですって言われたら壺買うの?
しきたりってそれらの意味はわからないけどビジネスに協力してもらいますっていう便利な言葉なのか >>44
俺は坊さん呼ばない葬式にも何回かでたこもあるよ
最近増えてるみたいね
>>45
嫌われてはないよ
むしろ好かれてるからできること
>>46
葬式はしていいよ
葬式は別に否定してない それをやるから死んだ人がちゃんと天国に行ってくれると思うからする 人生の節目には儀式が割りと必要
人の気持ちを切り替えて、次に向かうためには
可愛い女の子の力とか、儀式の力が必要だったりする >>52
天国信じるってことはどこかの信者かな
>>53
意味ないしきたりとか常識が感情論では?
いや感情論ですらないな
もう何も感じずやってるって感じ
>>54
だから葬式はやっていいって >>49
えーうそー
小馬鹿にしながら聞いたらなんて答えたのよそいつら 俺は金払えば極楽行けると心の底から真剣に思ってる人は皆無だと信じてるけどそれを証明する手立てはないから確かに論理的には堕落ボウズに課金することに意味がないとは証明できないわ >>57
常識だろ
とか
しきたりがある
とか
まあ確かにな
とか 風習になったものを変える力があると思うな
資本主義という宗教を履き違えるな おしゃれみたいなもんで装飾はあればあるほど見栄えがよい!
見栄え気にしないのなら削っていいよ! >>55
その程度の思考力しか持たないってことだな
自分でそう言ってんだもんな >>58
だよな
別にわかってやってるんならいいよ
何かしら信仰があってやってるわけだしそれを否定するつもりはない とりあえず場当たり的にレスを返すだけじゃなくてしっかりまとめて自分の考えを述べるべきだよね
話はそれからだと思うぞ 論理により体系的にまとめられたものが理論
その論理すらまともに話せないレベルではどうしようもない
理論というのは再現性の認められる説明可能な知識のことを言う >>60
ごみみたいな風習だな
まあ徐々に変わってきてるらしいけどな
>>61
一理ある
>>62
ん?
説明はなしか
>>63
そう 儀式はルールが有った方が、揉めたりせず淡々と滞ることなく進む
けど、無駄な坊主とかいなくなったほうがいいと思うから複雑 >>65
まとまった考えがないからこんな風習に脳死で従ってるのでは
>>66
つまり説明は無理なのか >>68
揉めるって脳死で風習に従ってるやつと揉めるかよ
揉めるってことはそいつらに信仰があるから好きにさせたらいい
ただ他人に強要はしないでほしいけどな 気持ちの問題だからな
今は必要としてる人がいるというだけだろ 葬式を小馬鹿にしてる割には
しっかり喪服着て葬式出て坊さんの説教聞いて帰る>>1
偉い >>75
まあそういうことじゃないの
なんか問題あるの? >>78
脳死で葬式をする人か
脳死の葬式にもでる>>1
偉い つまりおまえらはその宗教に信仰心があるんだな
その割には寺や神社に通わないよな
まあ信仰の形は人それぞれだが なぜ必要なのか?という問いかけを
バカにしていると解釈するのは論理的ですらないな >>74
それだけかよ
木箱とか考えたら5万くらいと思ったけど、木箱無しの焼却場直行でゴミと一緒に焼くなら2万くらいでもいけそうだろ こと葬儀に関して言えば死者当人の意思よりも遺族の気持ちに整理が付く事に意味があるので
送り出す側の納得がいけばどの宗教に則した葬儀であっても構わない。
近親遺族が無く参列者も遺骨の引き取り先も無いとなれば葬儀は不要。
死人に口なし、後始末だけの話。 >>80
だから葬式は別にいいよ
その人の最後の姿みたいって人もいるだろうし、別れとか言いたい人もいるだろうし、多くの人に一気に死んだことを伝えることもできるしな
>>81
通じてるから心配しないでいい >>67
資本主義をサバイブする基本的なプロセスなんだけど何がゴミなんだ? >>86
なら言った通りまず自分の意見をまとめて書き出してくれるか? >>83
女から詐欺なのに高い壺買うやつ馬鹿にするだろ
>>84
まあ一応死体の処理だから少し高くてもいいよ >>87
何のためにやるのさ
>>88
俺はただ質問しただけだぞ
必要なのか?って >>74
現在の社会は日本政府によって維持されてるけどその維持が災害や戦争により損なわれた場合に発動する非情装置だぞ
そもそも宗教的儀礼を残すのは宗教が廃れないようにする為なんだぞ
で、宗教ってのは何かって言うと上でも触れたけど「生と死」を筆頭とした解決できない事柄に対して統一した見解を用意する為の道具だぞ >>89
なんで死体の処理だと高くてもいいんだよ
理論的に説明してくれ >>91
宗教は必要ないな
科学で答えがないって言えばいい
むしろ今はそっちの考えの人も多いだろうに
>>92
だって俺は気持ち悪くてやりたくないし、多分やりたい人も少ないと思うわ 何も気にしないならしなければいいんじゃね
戒名ないと入れない墓もあるけどな お前の話したい内容ことがわかんねーよ🙂
ってなった。出直してきて >>94
意見はないよ
なぜ必要なのか知りたいだけ
ただその答えによっては意見は生まれるかもしれんがね >>95
だよな
>>96
わかんね
>>97
必要か不必要かを話してるだけだよ まあ確かに宗教の自由があるのだから
宗教に依らない埋葬方法があって然るべき、という気はする
ただ日本人ってあんまりそういう慣習を是が非でも打破したいという意思を持たない人が多い気がする
ましてや自分の葬儀は自分で執り行えないし >>99
それならわかるよ
つまりそういう商売もあるって話だな
>>100
レスしなきゃいいのに >>102
まあでも遺言には残せるから
俺は坊さんも呼ぶなって書くし、墓もいらないって書くし、なんなら好きな音楽流して欲しいかなと思ってるわ
しんみりならないような曲
まあやってくれる人たちがいたらの話だけど >>93
科学で「答えがないって」回答用意してもそれが通用するのは科学の光が消えてない地域でしか通用しない事柄だぞ
実際に遥か昔、科学が自然宗教よりも下だった時代にそんな言葉を振りかざしても何の力にもならなかったぞ
では今はどうか?
今は科学の光が消えてない状態なので「答えがない」って主張も普通に聞き入れられるよ
けどそれが本当に将来も続くかは判らないんだよ
前記もしたけど災害ってのはどの規模で何時発生するか判らないんだから
ここで言う災害ってのは多分お前が想像してるよりも遥かに大きな規模の事だよ
そしてそれはいつか必ずゃってくるよ >>93
気持ち悪いって……どこが理論的なんだよ
調べたらゴミ処分に10kgあたり300~500円てあったんで、人の平均体重を70kgとしたら処分料21000~35000円
処理ルートをうまく開発して業者間で競争させれば余裕で2万割りそう
これでどうよ? 必要か不要かで言ったら送り出す遺族や知人側が必要なら必要。
送り出す側が不要なら不要だしそもそもそうした遺族親族が居ないなら不要。
これでいいか? >>107
つまり今はそれらは必要ないって話か
>>108
気持ち悪いだろ
抱く嫌悪感は生理的なものだし理論的だぞ
虫だって殺すの気持ち悪いし、豚や鳥を殺すのも嫌だし、猫や犬を処分するのも嫌だよ >>101
いや上でも突っ込まれてるけど理論って「相対性理論」みたいに体系づけられた知識のことだぞ
だから何理論に基づいてるか聞いてるんだが? 親族や関係者・ご近所の手前体裁を整えるってやつだろ
個人の意思もあるかもしれん
そういうの要らないって考えが主流になれば価値は無くなるな いらないだろうけど
>>1は理論的というよりただの逆張りにしか見えない
てか理性的って言いたかったんでしょ? >>105
希望を書くだけじゃなくて法的に問題のないことの証左を取ったり、それを保証してくれる弁護士とかもあらかじめちゃんと押さえておくべきだろうな
遺族が困るから
>>108
やりたいと思う人が少ないってのは経済的に価格が高騰する立派な理由になり得ると思うが
>>1の感性はともあれ、ほとんどの人は遺体の処理とゴミの焼却を同じとは感じていない 大事な人が死んだ時に、家族や知人がしっかりその人のことを想って見送れる場を用意するのは必要なことだろう
何に則ってやるかは大事ではないから、ただその国や場所の風習に則って妥当なことをすればいい
でも最低限しっかりお金と手間をかけた儀式にすることは大事だよね
もしお前が母親が死んだ時に「焼いて埋めたらそれでいいから坊主は呼ばない」なんて言い出したら、お前の母親のことを考えにきた親族や知人はそれどころじゃなくなるよね >>110
お前が処分するんじゃなくて業者が処分するんだぞ
それともお前が処分業者になる話なの? >>110
今は必要ないよ
けど将来必要になった時に「よーし今は非常時だし宗教作ろうぜ」って事になると十中八九アホみたいなモノが出来るので今の宗教形態を残しておいたほうがマシだと俺は思ってるよ >>116
まあ道のないところに道をつくろうと思えば草木を刈らないといけないしな
ただ道さえできてしまえば逆張りにはならん
>>117
別に特別なことをするわけじゃないしそんなもんいらん つーか気持ち悪いて感情論だろ……
どこが理論的なんだよ カルトと慣わしのちがいが分からない頭の悪い人が一言コメントしてるけどバカなの? 葬式やってる雰囲気が大事だからお坊も喪服も数珠もお骨渡しも飾り >>111
信仰よりも単に気持ちの整理。
ぶっちゃけ墓をどうするかは直系親族の都合であって他の親族知人等多数の参列者の信仰する宗教とは関係がなくても良いのだし。
気持ちの整理を付ける必要が無いならその為の儀式も要らないだけの事。
形式として行う事で心理的に区切りが付く効果が重要であって
信仰の様な精神的拠り所を要する儀式では無い。 >>118
坊さんいなくても考えられるよ
だから大丈夫
葬式はやるわけだし見送ることはできる
>>119
普通の人がやりたくないようなことをやるからやらない側は高く払ってもいいって話な
そうじゃないとやるやつ増えなくて俺がやるはめになるかもしれんだろ
>>120
宗教は別に否定してないって
信者は好きにしろって話 >>123
そらそうだろ
他人の感想は言わないよ
>>125
なぜ大事だと思うの?
>>126
それは信仰だな
気持ちの整理だけなら葬式だけしたらいい 宗教をやってない人間なんているのか?
宇宙誕生も生命誕生も偶然に過ぎなくて無限回繰り返せばいつか生命は誕生し自分も生まれると言う人たちが例えばいるが宇宙誕生が無限回繰り返されてきたというのも全て根拠がなく単にそう信じたいから信じてるだけなんだよな >>127
動物の肉と人の肉のなにが違うの?
気持ち悪いだのなんだのいうなら坊さん用意して数珠装備して喪服着てやらない側のたっかい金払って処分してもらえばええんじゃねえの
お前全然理論的じゃねーな、感情論だらけやんけ >>127
儀式は形式立てることが必要なんだ
そこに文化が生まれるし、ビジネスも生まれる
お前が大事な人の葬儀に坊主を呼ばない、墓石も立てないっていったら、みんなギョッとするし軽蔑するよ
そのデメリットがある以上、坊主を抜くのは論理的じゃないだろう >>129
信仰とは生きていく上での精神的思想的な支柱や拠り所を教義等に求める「生きる上で信じるもの」
葬儀に求められるのは近しい人の喪失による心の動揺や哀悼の心理に「整理を付ける」遺族親族等の通過儀礼的儀式。
葬儀の形式上様々な宗教的概念により執り行われるけれども
そこでは参列者全てに「信仰心」は求められていない。
教会で挙式する結婚式の当事者参列者全てがクリスチャンではないのと同じでそこに信仰は無い。 >>132
止まってないんだが
何理論に基づいて理論的って言ってるか自分でも分からないくらいバカなの? >>133
動物も嫌だよ
だからそういう仕事してる人にも高い金払ってもいい >>137
それあなたの感情論ですよね?
理論的どこいったの? >>115
もうちょっといえば社会的な機能だな
例えば衣服は多少虫食い穴やしみがあっても保温や保護には問題ないけどそれ着てるのは嫌だろ 死者を弔うことはカラスくらいの知能でもやるからな
弔いの方法として今の日本での多数派の形が本当の意味で正しいのかどうかは誰にもわかることではないとしても死者への気持ちを表現するには現状の正しいとされてる方法を取るしかないというのが多数派だろう
実際に死者や遺族が望むなら葬式の内容として飲み会だろうが立食パーティーだろうが違う形にしても問題ないと思うぞ
ただ埋葬に関して日本では火葬しないといけない法律もあるので敢えて仏教の形から大きく逸脱するのはそもそも手間が多くなってしまう >>133
坊さんが焼く人ならそうするよ
ただお経はいらんし、なんか変な話もいらん
数珠はなんのために?喪服はなんのために?
>>134
だからギョッとする人になぜ必要なのか聞いている
>>135
坊さんがいると整理つくのか 坊さんも数珠も喪服もいらんけど、処分するのは気持ち悪いから業者に高い料金は払う
これが理論的な1の結論てことな
なんかよくわかんねえ奴だったわ >>138
生理論だな
生理的に無理だし
>>139
喪服じゃなくても嫌だな >>143
つまり坊さんはいらないのか
>>145
理論的だろうな >>142
大事な人の死に体裁や文化守ってなかったらそりゃびっくりするでしょ 家族しんで葬式した
悲しい気持ちはあるし泣いたけど葬式に意味があるとは思えない
葬式して墓に骨入れて毎年仏壇でお経唱えるこれをやらないと家族の死をなんとも思ってない薄情なやつと思われる
意味がわからない
お前に何がわかるんだ それも分かるけど、それが無いと何やってんのかも分からなくなりそうだけどな、みんなで集まって手を合わせて火葬するだけでも良いのか? 別に進行やってくれて雰囲気作ってくれて、自然と揃って黙祷する機会も作ってくれるんだからいいじゃん
何が不満なの?ってなったら、面倒臭いとか金が掛かるとかでしょ
大事な人が死んでそれ言い始めたらそら神経疑われるだろ 形だけのものでは無かったと思うけど、今は核化が進んでいる訳だし良く分からん
日本でメジャーなのは仏教方式と神道方式な訳だけど、あまり違いはわからんよな 片方の意見だけ肯定してる時点で1が論理的とは言えないんだよなあ 人は何かを信じやすく
わからないものに意味やイメージを思考する生き物
わからないものの中に
宇宙創造、生と死がある
宇宙創造から導き出した神という虚構が生み出され
なぜ生きるのかについて
死後に意味を見出した
念仏、お祈り、魔術、魔法陣
異様な格好をする事で
異様な虚構を生み出す事が出来た
そこに人の思考を左右する力があり
そこにビジネスや行動コントロールを仕掛けた
それが精霊だったり、神だったり、御釈迦様だったりするわけだ
それが文化になったから当たり前化しただけの話
さらに、神や死後の虚構をいち早く悪用し組織化して集金ビジネスとして始めたのが統一教会 墓地っていうか埋葬は超古代から行われているから意味はあるんだろ グダグダ長文書いてもどうせ読まないだろうから単刀直入に言うけど全知全能で善良なる創造者としての神を否定するのは頭が良くない
神や天国がないというなら、或いはそれらが間違っているというならそれは自虐であり友人への冒涜でしかないんだよ 生きてる奴が死者と別れるには納得が必要だろ
お前が要らんと思うならお前に喪服も坊主も不要ってだけの話 神が善良とは限らない
善良な市民って言葉はあっても善良な社会とは言わない
善良なんて言葉はそんなもんだよ 無神論者は神を仮定しなくとも人は善良でいれると言うがそれは間違いで、イエス・キリストが命を差し出したのは神に対してでありそれは生き返って人々に人は善良なる神により幸福に永久に生きられる事を証明するためであった
これを信じるかどうかというのは個人の自由だが、仮に真実であると仮定した場合これを信じなかった人達はイエスの死を無駄にした無礼者共という事になる
結局人は信じたいものしか信じないのであるから良いものを信じるべきだ
自分や親や身の回りの人達をただの物体であると定義しても自分自身の死は恐れる
それは無様ではないのか? >>166
ジーザスの死によって今まであった戒律が無くなったってのがキリスト教教のスタンスなの?
ちなみにキリスト教だと葬儀ってどうやるの?全く未知 >>167
葬儀ってのは宗教的な儀式なんだよな、宗教に欠かせないのが神っていう超越してる存在、だから善良とは限らないと…、 まぁ勿論、大勢の人が言うように何かが入り込む余地はある訳で、それを使ってビジネスしてる人達も居るかも知れない
内部の事は分からんけど、まともな宗教もあるんだよ >>169
あーあれか
本題とか実はどうでもよくてそれを口実に自分の知ってることペラペラ喋りたくなっちゃったみたいな そんなこと言い出したらゴルゴダの坂やロンギヌスさんが刺した槍とか即身仏とか馬鹿みたいやん 必要か必要でないかでいったら必要ないだろ
法で定められた処理に即してればそれでいいよ >>171
まぁどう捉えて貰っても良いけど、
多分>>164で言ってる事の意味だよ >>168
戒律がなくなったんじゃなくて戒律の真の解釈をイエスが述べたんだよ
それでファリサイ派などがイエスを恨んで最終的にローマ人に殺すように仕向けたんだけど
イエスは親の葬式に参加したいと言った弟子に対して死人の事は死人に任せなさいと言った
その言葉の意味は俺にはまだ分からない
しかし違う場面では通りかかった葬式の現場で人々が泣いているのを見て葬式の故人が幸せだった事に喜んで泣き、生き返らせた
思うに葬式そのものは習慣でしかなくて葬式をしない人達が薄情ということではない
でも葬式で泣く人がいるならその故人は幸せだったと証明されると思う >>174
だから今は墓より家族葬で家に骨壷置いたり、坊さんいらんって理論で創価学会は坊さんいないし 喪服に関しては今思いついた仮説を一つ
普段使用する服とは異なる服を使用することで平時に集まることのない多数の参列者同士が互いに未知の病原菌、ウイルス類を交換してしまうリスクを軽減する効果が見込める
というのあるかもしれないと思ったがどうだろう
科学的な意味を研究している人が居ないから気づいていないだけで可能性はありそうな気がした 晴れと穢れって日本古来の考え方
晴れ着とかもそこから来てるような気がするけど >>177
私は3世だけど祖父母世代のにはほぼ付き合わされる
勧誘系きても断るいい理由として使ってるのもあるけど >>177
キリスト教徒であるかというのは教会に通っているかというようなもので決まるのではなく福音を読んでイエス・キリストを主であると考えるに至りそしてイエスの言葉に従う人達を指すんじゃないかな >>167
その部分が根本的な部分であって神がいないというなら葬式なんて自虐的すぎるからやるべきではない >>180
へーそうなのか、世界の創価だし、大学とかもある訳だけど、何か有利になる事とか活動とかってあるの?祖父母の代と言えば創設者の辺りから? >>181
そりゃそうだけど、一般人が新約聖書読んでナザレのイエスこそがキリストだ!ってなったら入信するんじゃないの?
日本にも沢山教会はある訳だし >>179
実際に遺体はどうあがいても不衛生なものであるし
だから火葬するのであって
日常的に遺体が出入りする空間自体にも多少なり作用はあるだろうし
直感的にそう感じるというものは億年単位の歴史の中ではその方が生き残る率が高かった
という歴史的な統計の結果である可能性が高いとも言えそう
なぜそのような個体が残ったのかに関する情報はどこにも記録されないから知るすべがなく不明というだけで >>183
そうそう。祖父母の時代は戦後の付き合いで行かなきゃいけない地域的な面もあったんだ
未だに馬鹿でかい大作様の仏壇あるよ
数珠とお経渡されて地区長が先頭、お偉いさんが最前列、身内2列目
火葬までが安いのもある。10万くらい >>185
自然に帰るまでの過程はそうだろうな
だからこそ埋葬してきた訳で、今は火葬だけど
衛生的とかどうのこうのでは無くて
ハレとケガレってのが古来からあるんだよ
まぁ培養して見て見てれば、衛生的にもそうなのかも知れないけど、そうなると晴れ着は新しい方が良いってだけになってくる、様式とかの差でもあると思う >>186
創設者は違うでしょ、相当な理念を感じるけどね
一般的な質問だけど池田大作って生きてるの? >>182
俺は神とか信じてないけど葬式はやるべきだと思うぞ
お前が葬式を自虐的と捉えてるのはわかったが普通の人間は心の整理のために区切りやきっかけが必要だったりするもんだ
日本の一般的な風習として喪服着て坊主呼んで、って辺りの理論的な意味を追求する意味はないし宗教によって形式が異なるのもこの際どうでもいい
生者側が「葬式」と認識している儀式、行事をきっちり済ませることで出来る心の整理は確かにある
だからこそやるべき
そんなのいらねーって>>1みたいなやつとか、自虐的だからやるべきでないと個人的に感じてる奴は別に出席する必要ないかもしれんがな >>188
私は死ぬほど興味ないから知らんけど多分亡くなってる。そして神格化されてる 私は自分の葬式のときはお経の代わりに推しの曲流してもらって参列する人にはキンブレ持ってくるように伝えてくれって家族に言っといた うちの母は鳥葬にしてくれって言ってたけどあれって死ぬ寸前の生きたままやるって理解してるのかな >>190
へーそうなのか、じゃぁそのうちに新しい代表になるのな
仏敵ってなんなの? この間父親死んだけど葬式やらんかったわ
直葬で坊主も呼ばんかった
義母も直葬だったがその時は喪服も着なかったな >>189
気持ちの整理っていうのはエゴだけどそれだけなら別にあの人は死んだんだと自分に説明すればいいだけで態々葬式をする必要まではない
当然そういう自己解決ができない人もいるだろうがそれは他人の話であって自分が出席する理由にはならない
葬式では故人に手紙を読んだりするのを想定したけど相手が聞いていないと思いながら読むのは自虐的だと言ってる
葬式に出る理由は故人にあの世で幸せになってほしいという類の願いがあるからだろ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています