科学は信仰だというとつっかかってくる人がいる。
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客観的に見ようとすること自体が既に主観が入ってるという事実ね。
だから科学的であろうとすることは既に客観的に見える主観によっているということ。
つまり真の客観なんてないってこと。それを目指すのが自然科学でいうと理学とかなわけ。 科学も信仰みたいなもんだけど信仰対象を盲目的に信じさせることはしないからね 計算式あるぶん信用できるじゃん
算数も宗教って言われれば知らんが >>4
なぜ?
科学は信仰だとする方がそうでないよりよっぽど科学的見方をしてると思うよ。 >>5
そんな事言ってると相対論と量子力学勉強し始めたときにひっくり返りそうだな >>6
現代は科学を盲目的に信じてる人は結構いると思う>>3,4みたいに >>8
もう大まかな結論がでてから100年以上たってる
科学が宗教と根本的に違うのは無制限に反証可能性を認めているから >>7
計算式は公理が下敷きになってます、そして公理は人間の主観でできてるから決してどこまでいっても現状の科学では真の客観にはなれません。 >>10
相対論は相対と絶対の話であって客観と主観の話とは関係ないだろ
あくまで古典力学の延長 >>16
こういうのはむしろ拗らせた文系大学生がいう >>12
生きることや死ぬことについての考え方みたいだけど、一つの病が見つかったら同じ病で死ぬ人が出てくる可能性がある(だから治療法なり治療薬を開発する)というのは、一つの死生観だと思うよ。 >>11
こういうのが典型的な馬鹿
世の中では反証可能性の観点において科学と宗教は明確に分けられているのに、そこすら理解できずにいる >>18
文系っていうか高校の理科もまともに勉強してない奴って意味 >>20
そもそも>>1は信仰という言葉しか使ってない(おそらく科学主義の文脈で)のに宗教の話を突然持ち出してるのが頭悪い 大昔に比べれば
宗教や摩訶不思議ワールドの領域は減っただろ
死後の世界なんかは議論しても
答えは出ないアンタッチャブルな世界なんだろうけど
これもいつかは何か解明されるかもな >>13
あなたのなかでは結論が出てるのかもしれない。いやむしろあなたは証明せず誰かの論理を信奉しおそらく100年以上経ってると思い込んでいる可能性が高いわけだから、100年以上たっていると思い込んでいることも、それが正しいと思い込むことも決して真実ではないと考えられます。 反証可能性の有無で科学と宗教が区別されているなら
仮に神の存在が確認されたらその時点で宗教が宗教でなくなりそう >>25
科学の世界も大概やで。理学の世界は割と真実追求を目的としてるけど、工学の世界は仮説先行で結論ありきの実験をすることも多いからなあ。 どちらも学問には違いないけど科学は信仰ではないだろ >>30
工学的でも最終的に目的の製品作れちゃうならアリだと思うけどな
データの解釈を間違えられるとたまったもんじゃないが >>30
仮説は大事だろ
仮説立てれるイマジネーションこそ核じゃん
あとはそれを詰めて詰めて検算して
間違ってればもう一度考え直してそれも大勢で
宇宙科学だってなんだってそうじゃん >>29
反証?
自分が生きる前や死んだ後のことはわからない、よって今この世の中にあるすべての論理が信用できない。 日本語がおかしい
信仰は動作名詞だけど科学は動作名詞ではない
科学を信仰するやつしかいない、本当に科学を理解しているやつなどいないって言いたいならわかる 科学は演繹的、宗教は帰納的という違いがあるんじゃない? >>31
研究者にとってはそうだと思うけど市井の人は割と信仰に近いと思う
無検証に「教科書に書いてある」って言う人は「聖書に書いてある」って言う人とそれほど変わらないんじゃないかな 新宿古着屋ワタナベはセブンイレブンで拾ったチンポですよダイバクショウ >>31
真実追求や仮説検証の目的を基に実験するから、それによって出てきた論文の結果は信仰だよ。そもそもその仮説に合致しない論文は画期的ではないし採用されないけどね。そっちの失敗の方が今後同じ失敗を繰り返さない意味でわたしは重要だと思うけど。 >>34
それは反証になっていない
もし反証だというのなら、それがなぜ科学が反証可能性を制限していることになるのか説明できなければいけない 科学は辻褄合わせであって真理ではない
これを知らない奴がたまにいる >>37
そういう誰かの論理を信仰してるひとや辛抱してる人は、ここのスレッドはもちろん、最先端の学会に所属してる科学者のなかにも一定数いるからなあ。そういう人はもう立派な科学(信仰してる論理)の信者だよ。 科学信仰してる人→科学信者
じゃあ科学信者じゃない人はなんなんだ
科学信仰じゃない人物って例えば誰 >>43
これな
つじつま合わせと言う意味では理学も工学も実はそんなに変わらない >>33
仮説が正しいかどうかを検証するのが理学で、仮説を正しいものとして使おうとするのが工学や農学や医学なんだろうね。だから少なくともそれら工学農学医学は理学を信仰してるんじゃないかな? よく分からんけど宗教的なものを信じるから信仰なのであって、科学は宗教じゃないだろ? >>49
例えば科学におけるある論理Aは、他者の論理Bの下敷きにして成り立っているから、論理Aを打ち出してる人は論理Bを信仰してるよ。 >>49
科学で「実験したらこうなります」っていうのは事実だけど「これはこういう数式が成り立つから・・・」っていう部分が信仰に誓い
現実と矛盾しないけどその数式が世の理を支配している理由までは分からない
拗らせると数式が神になる 神の数式(NHK制作)
あれも検算どえらいしたって話だったな
数学者宇宙科学者こぞって束になって
∞という値に挫けながら >>52
工学における真理追求者として「わけわからない値を定数として決めて端においやればきれいな式に変えられるやん」てなことをしてる例はごまんとある。 >>48
実際科学者に言っても「で?w」で終わる話だからなあw >>53
直感で式を書き換えるとかアインシュタインもやったからな
結局その直感当たってたみたいだけど 1番信者の多い宗教でしょ
そう思わない人って何が根拠なの つーか科学って、自然科学だけの話してるのか?
自然科学限定なら、再現性のあるもの、観測できるもの、人間が理解可能なものとか、反証可能性以外にもいろいろ条件追加でさらに宗教との乖離は大きいんだけど >>54
そういう返しをする人を見ると、そうした返しをした時点で真実追求をするよりも勝ち負け(己が負けてて勝ちたいと思っていること)に意識が変わっていることがわかるね。 暗号放送に早く移行しろよ 09/16 05時16壺 >>56
科学者は再現性の無いものを信じないって時点で信仰の正反対なのよ >>61
再現性って何?
地球もう1個作ったことでもあるんか
そもそも理系自体宗教にはまりやすいのもあるよな
オウムのテロリストも科学者だらけだった
文系と違って感情論しか言わないのも感情に支配されやすいタイプだからなんだろうな
論理学を学んでないからとか知能や能力の問題もあるんだろうけど >>64
理系も文系もどちらも真の研究者は己の論理なり他者の論理なりに信仰心があるよ。 科学は信仰だとか言って突っかかっていってる1がいると聞いて 科学にもカルトはあるしな
布教する側に誠実性があれば社会に有意になるものだけど、不誠実であれば害しか無いあたりも宗教も科学も同じだとは言えるね >>64
再現性にはちゃんとした定義があるから調べてみて
地球は必要ないよ >>69
なるほどあなたは定義を信仰してるのね。誰かが決めた定義を。正しいものとして扱ってるんだね。その行動ってまさに信仰だよ。 単純に同じものに見えるのにそれに対する明確な根拠や証拠は誰も示せてないし
それでなんでみんなが信者になってくれると思うんだろう?
科学者ってそういう論理的思考ができてないんだよな
カルト宗教の信者と同じ論法を使うし正論言われたらSFな話するか逆ギレしだすからすごい幼稚
あたかも自分たちが世界の真理を知る全知全能の神かのような態度だよね
そういう妄想するのが気持ちいいんだろうけどまさにそれが宗教じゃないのかな >>59
「科学は信仰」宗教の方にそっくりそのままお返ししますよw
勝つといいですねw 学会で論文として発表されて他の科学者たちが何度も検証したうえで論文の正しさが認められればそれは科学的事実となるって過程じゃなかったっけ
信仰なんて関係なくね 例えばある一定の電流を回路に流したら動くものがあるとしてそれの仕組みが神の所業とか言ってたらそりゃ宗教かもしれないけど実際は数式で表せるじゃん >>70
お前の中では語学とかも信仰なんだろうなあ >>74
その行動が古くからなされてきた信仰の形だとわたしは思いますよ。 >>71
具体的にそういう行動をとってるのは誰。
脳内科学者か? ずっと妄想の話しといて論理的な思考ができるのは俺たちだけだって自慢げに言うのも
宗教信者あるあるだよな
妄想でないという根拠は何度聞いても誰も言わない >>74
その昔、とある科学者の講演を聞いたことがあるが、その時に言っていたのが
科学とは信じることではなく疑うこと、宗教とは真逆の考え方であり姿勢なんですと
それが出来ている人こそ科学者であり、科学であると
科学だから正しいと考える人は、その時点で科学ではなく信仰になっています、科学を目指す人は目の前にある現実すら疑うぐらいの猜疑心が必要です
なんてこと言ってたな 科学は信仰ではないだろう
検証も疑いもするし間違いは正す
ましてや全知全能の人に似た存在を崇めたりしない オウムあれエリートかき集めたって話だけど
エリートがアホな宗教にどっぷりって図式だけじゃないぞあれ
エリートかつ家庭や身の上で不幸なやつがあれにやられた
俺の知ってる人もオウムに出家した(奥さんが子供出産時に死亡) >>82
科学は信仰ではないけど
科学を信仰してしまってる人達は大勢いる
例えばお前は天動説を信じてる奴を馬鹿にして地動説の正しさを信じているが
その実地動説の詳細を知らないし詳しく説明出来ないだろう
そういう人は世の中大勢いる
この「よく分からないけれど何となくこれが正しいし、これを信じてない奴は愚かだ」ってのが一種の信仰なんだよ >>82
他者の論理を崇めてる意味では己の論理を打ち出してる科学者は自分なり誰かの論理の信仰をしてますよ。
なぜなら人間に出来ることは限られているから。ある論理を導き出すに至った仮定の論理まで検証することはできません、したがってどこかで誰か他の人の論理を信仰することになります。 >>87
仮定の論理は大体予想と言って
科学的根拠がなければダメだけどな >>85
これ以上疑いようがないと定義されたものなら信じても良いんじゃないかな
お前は橋を渡るたびに強度試験をしてから渡ってるのか? 科学理論ってあくまで何かしらの公理を前提にした暫定的な論理だからね。
例えば何かしらの科学理論の元となる公理が間違っていたとなったら、これまで積み上げてきた今現在の科学理論はすべて過去のものとなる。 >>89
無いものを信じる心じゃね?
だから、偶像を崇拝する
科学はどちらかと言ったら
偶像を実像に変える行為 >>91
アインシュタインの相対性理論の否定何かあるのか? >>91
その場合新たな公理系を設定して再出発するだけじゃん >>91
たとえば重力質量と慣性質量が同じって等価原理は経験則だったりね >>90
何処かの誰かが何時だか知らないけれど定義した
これを何となく信じてるから科学信仰なんだよ
車輪の再発見を馬鹿にしてはならないってのが科学界の了解で
定期的にやはりこの理論は正しいと再確認するのは重要だよ >>96
ちゃんと誰がいつ定義したのか調べれば分かる様になってる
論文て聞いたことない? >>87
誰かが証明し実証したものや理論を信じたり納得するのは信仰とは違うような
誰もが信じていたものか覆されたら大発見で喜ばしいこと
宗教はを信仰対象の神を否定したり冒涜は許されないだろう? >>93
現状ではあくまで「なさそうだ」というだけだよ。
「ない」とは言い切れない。悪魔の証明になるから。そのないとは言い切れないところが科学や論理の弱点。
ただ多くの人や科学に自信のない方は「ない」と言われること(信仰させること)で不安な気持ちが解消される。 ちなみに地動説への反論は英語圏で割と人気だから探せば論文山ほど見つかると思う >>91
まさに科学が宗教と違うところだな、反証可能性が無制限だから、公理を疑ったり、誤っていると考えられれば変更もなされる >>85
そう、実は天動説はまだ完全否定されてないんだよねw
先に書いた科学者が話してた
だって、太陽の周りを地球が回ってる所見たことある人誰か居ます?ってw
天動説を信じてる人達には今もその論文や研究を行ってる人達が居る
そして、彼らの出した計算式や公式もちゃんと再現性があるんだよね
ただ、地動説で作られた公式よりかなり複雑な計算式だったりする、でも再現性はある
じゃあ何で地動説が一般的かと言うと今の科学のベースにあるスコラ哲学において「複雑なものより単純なものが正しい」という考え方があるからだと
だから、今後太陽系外から太陽系を観察するような時代になって、実は天動説が正解でしたなんでことがあるかもしれないんですよ、それが科学ってものなんです
と話してたな ただ最大の問題点を上げれば
科学=旧ソ連の理論ってとこだな >>97
だからお前はお前の信じてる物理法則や科学技術、天文学的知識、気象現象
全てをその論文を参照して知識を修めた上で信じてるのか?
って話な
それをろくすっぽ知らずに「これが当たり前」みたいなふんわりした感覚で信じてるのが「科学信仰」だと言ってるんだ
それなら結局宗教信仰と大差ないよねってお話 研究者の科学に対する姿勢とは別にして
研究者ではない人たちの科学に対する認識は信仰に近いものがあるよね
内容も理解せずに「論文に書いてある」って言うのは「聖書に書いてある」って言うのと大差ないよ >>93
アインシュタインであれば宇宙項ってのがあるなw
一般相対性理論でアインシュタインが導入したけど、自ら否定して、それからまた必要性があると見なされてるってもの ある意味、最新の宇宙論は宗教だっての聞いたよ
宇宙はどう生まれてこの先どうなるのか?
マルチバースがあるかないのか?
過去変えた場合パラドックスはどうなるのか?
ブラックホールの中に入ると何が起きるのか?
こういったものは未来永劫、実験で検証することができないゆえに >>101
宗教も疑ったり誤っているとしたら解釈変更がなされるよ、例えば毎年だったか何年かに一回だったかキリスト教の教義について解釈の検証もしくは解釈の変更をしてるのご存知? >>110
でも信仰する神の存在を疑ったり批判したりしないだろう? >>110
宗教は反証が無制限ではない
例えばキリスト教では神が存在しないという主張はできない
信じないなら破門となる >>109
日本語通じてる?
相手の言わんとしてる事を理解出来てなさそうだけど >>113
お前の宗教観は斬新だねって伝えたかった 量子が入ってきて変わりつつあるけど条件が同じであれば必ず同じ現象が起きるという信仰
これを信じなきゃ始まらない 宗教と科学の違いは再現性だわな
宗教は神や指導者の教えを信じるけど、科学は誰にでも再現できる現象を信じる >>108
例えば宇宙物理学だと計算上は宇宙は広がっていると結論づけてるみたいだけど、計算上はそうなだけで実際はどうなってるのか正直わからん。
ただわからんことをわからんっていうと世の中の人たちや論理を打ち出した本人が不安だから、一応暫定的に論理上は宇宙か広がっているというだけ。 >>114
適当に手当たり次第に噛みついて煽りたいだけだったのかい? まぁ普通に信仰と言ってもいいよ
だからこそ宗教なんて完全に信じてないし >>112
科学理論もその下敷きとなる論理やその論理の元となる公理を疑ったら自分の論理が成り立たないから同じじゃーん。 >>120
公理が間違っているなら正しい公理はなんなのかの追求がされるけど >>117
計算上はそうなるって部分が大事
誰が計算しても同じ結論になることを科学者は信仰する
宗教だと指導者が考えて指導者が結論を出すから、指導者の数だけ異なる結論が生まれる 全知全能の神だとか人の姿をしているとか我らの父などと言うと今は信じない人も多い
宇宙や世界や自然そのものを神だと思えば良い
神や宗教なんてただの擬人化や抽象化だよ
美少女女神様にでもしてでも楽しめば良い >>111
科学で神の存在を否定出来るか?
ってのは既にもうやられてる、最悪な方法で
それがインテリジェンスデザイン論と呼ばれるもので、そこから生まれたスパゲティモンスター教ってもの
この無意味な論争を起こさない為にスコラ哲学でのオッカムの剃刀というものを科学は採用してるんだよね
科学で神や宗教を語ろうとしてはいけない、これ科学が既に出してる結論なんだよ
これを破ってる人達はもうその時点で科学的では無いとしか言えないんだよね
まあ自分で再現性の実験してるのかもしれないけどw VIPにしては頭いいこと言うやん
そうだよ科学もひとつの宗教ってのは哲学の世界はメジャーな主張 科学的な考え方は好きだけど、あらゆる事物や説明は現状の人間が最も納得できる仮説としか思ってないし、それは見方によっては信仰なんだろうなと思う >>123
でもその計算結果は派閥によって結果が分かれるのでは?
それは宗教における宗派の違いと変わりないと思うよ。 この科学否定の人は、ピタゴラスの定理を否定出来るの?否定出来なくても、矛盾を感じてるの? >>125
哲学も出してる結論だね
有名どころとしてカントやヴィトゲンシュタインの主張 >>125
そんなオッカムの剃刀の解釈の仕方初めて聞いた 科学も信仰であるというのはその通り
科学は現状人間が手に入る情報から真実を類推して信じているだけで、真実自体には全く手が届いてないからな
その上で、宗教と科学の信仰の仕方には再現性という大きな差があるということ >>129
わたしのことを言ってるのかもしれないけど否定はしてない。
新聞の主張や小説と一緒で、どこかの誰かがその人の考えのなかではそれが正しいとして思ってるってことを書いてるんだろうなってだけ。
ただ真実はわからんなってだけ。
その理論を信仰してるひとはそれを信仰することでわけのわからない現実をスッキリまとめらわかったつもりになれるから正しいと考え信仰しているのだろうなと見てる。 神を否定するのに科学も根拠もいらない
実際に異教徒の神を否定し何度も戦争しているし改宗する人も沢山いる
気に入らなければ否定すれば良いだけの事だな >>91
こういう意見があるのは解るが通常はそうはならない
地動説は天動説による正しい予測と矛盾しないし量子論や相対論もある種の極限でニュートン力学に一致する
科学は現実世界の必要条件の体系であって十分条件を立てるつもりはない
対して宗教は十分条件を目指そうとする傾向が強い
その結果ノアの洪水と貝殻のように宗教下では神様の存在によって説明説明されることがいなくても説明できることが多い 重力定数9.8
これに重さを掛け算したら位置エネルギーになる
でもなんでこれが9.8になるのか全く分からない
神様が「うーんこれ9.8、明日から20」ってやったら人類滅びる
科学というのは神の所業を見た結果を告げてるだけ
科学者は預言者とあまり変わらない 絶対にそうと言い切れることは世の中に一つもないしね
どれだけ確からしく見えても、せいぜい、「現状そう解釈するのがおそらく最も妥当性が高い」という程度 >>131
経緯はインテリジェンスデザイン論とほとんど変わらないことを知らないのかい?
科学的議論を行ってる時に、宗教者側からそれは神の御業か悪魔の所業かを精査する必要があるなどという横槍が入った
なので、余計なものは考慮しないようにするってことになったってのがオッカムの剃刀というものが言われるようになった経緯
科学にとっては等加速度運動をさせているのが神でも悪魔でも天使でもどうでもいいんだよ
物体がそういう動きをするってことだけが科学である 太陽は地球の周りを回っていて地球は平らで星々は空に張り付いてる >>133
再現性のあることを信じるのが科学だからそりゃそう
神を感じられるのが宗教なんですよねって言われてるのとあんま変わらんと思う 事実を数字で表したものとと不確かな事を信じる物は違うだろ >>129
ここでピタゴラスの名前出すかw
科学数学と宗教は同じものって話を補強しまくってしまうような人じゃないかw >>137
いや違うだろw
預言はただの妄想や夢で見た内容を人に吹聴することかと >>145
昔の人が実際に目で観測したかもしれんだろ >>144
ピタゴラスの定理の話であってピタゴラス自身の話じゃない >>128
そういう現時点では派閥によって計算結果が分かれているものは「仮説」として分類されて信仰の対象から外されている
んで、各派閥から出された「仮説」を科学者みんなで検証して、「仮説」の中から「確からしい仮説」を選び出し、それを暫定的な事実として信仰の対象とする
だけど「確からしい仮説」ってのも常に検証の対象になり、新たな仮説が生まれれば、その都度みんなで検証するプロセスが行われる
これが科学のやり方 >>146
予言てのは未来の事を言うのではないのか?
そんなもんテキトーこかないと言えるわけねーだろ >>137
Gが20になったら人類が滅びるのではなくて、あくまで物理学者やそれに付随した学問の学者が死ぬだけであって大抵は生きるな。
そして科学者は預言者と変わらないのはそうかもね。 >>147
ピタゴラスの定理ってのは、そのピタゴラスが作ったピタゴラス教団の教義の1つ
ピタゴラスの定理が否定出来ないのはむしろ宗教の勝利とも言えなくもないw キリスト教やイスラム教は教典を法律みたいに扱ってそこを出発点にするけど仏教は筋トレのハウツーみたいなもんだと思うわ
最終的に悟りや筋肉を得られれば途中の理論が厳密でなくてもいいし統一の大系になってなくていい
悟りや筋肉を得られればより人生が良くなると信じて向かっている集団 >>134になるほど。とおもいつつ>>144乱暴だけど、ピタゴラス教団って整数教の信仰と、後の数学(科学)が全否定した好例でしょ? >>137
これが科学の面白いところだな
科学ってのは今日まで9.8だったから明日も9.8だろうとしか予言しか出来ない
なので、予言が外れて明日突然20になってもおかしく無い
そうなると科学者は、なんか見落としがあったんだろうなと思って淡々と9.8から20に変わる理論を組み立て直す訳だが >>154
それは科学的な姿勢というものをしていた人達が否定出来たと言う話で、>>1や俺が言うように科学も一種の信仰とも言えるという話を補強してる話でもある
科学には科学的姿勢で世界を解こうとしてる人達、科学者と呼ばれる人達と
そんな科学者の言葉を鵜呑みにして正しく信仰してしまってる人達が居るってこと
ピタゴラス教団はその後者が存在しているってことを証明してるようなものであり、現代でもサイエントロジーとかホメオパシーとか「科学w」を信仰しちゃってる人達が居るのも事実 >>148
書かれてる「確からしさ」は、声の大きいひとや影響力の大きい人、つまりは教祖のような人に影響を大きく与えた多数決によってなされるね。 世界を探究するのが科学
宗教は物語で倫理を説くとものかと 人間は再現性と三段論法を本能的に信じる動物でその外側にある物事はうまく考えられないから無限の思考を停止させるツールとして宗教があると思うんだ
だから思考可能または不可能な領域が変化したら宗教も取り替えるべきで、昔のをそのまま使うと領域がぶつかってバグり感情アラートが暴走する >>153
仏教も他の宗教と同様一つの主張だから欠陥がある。
たから理想をいうと独立した2つ以上の教義を理解して帰納法と演繹法とで考えられれば真理のわかる可能性がある。 >>160
現実としてそういう権威主義に依ってしまっている側面はあるけど、科学の本質はそうじゃない
大学教授が唱える仮説だろうと、幼稚園児が唱える仮説だろうと同じテーブルに乗せてみんなで検証し、計算上確からしいものを選ぶようにしている
権威主義による歪曲、あるいは仮説の検証が不十分というのは人間としての限界であって、科学という道具の限界はもっと深い部分にある >>159 なるほど。その時代に生きていないから、改めて考えさせられる。 >>165
今はピタゴラスの定理みたいな単純なものはだいたい科学が解いてしまってるからね
でも複雑なもので解けてないものは結局信者の争いになってしまってるだろ
分かりやすいのがワクチン接種の話だよ
科学者同士も科学的データってのでお互い殴りあってる言わば宗教戦争みたいなものだよw
で、信者の人達はもはや十字軍と僧兵のクソの投げ合いみたいなことしてるw
あれは科学という宗教の宗派対立だよw
カソリックとプロテスタントの喧嘩の方がまだ上品だw 信仰≠宗教 宗教≠信仰
にしたら、同じ山をどう登るか?を考えてるんだと思うよ。 >>164
科学の本質はそうだけど現実それは実現できてないよね、その意味で多くの科学者は権威主義という信仰にもほだされてるように見えるね。
ただそうした権威信仰にほだされる気持ちもわかる。
たとえば権威の出した論理に従うことで自分が現実を見ることを怠けることが出来るし、権威の打ち出した論理が間違ってた場合に否定し言い訳することができるからね。 >>163
仏教の根幹の主張って「悟りという体験があってそれを得れば人生全部解決」でしかなくて教義とか真理とかあんま興味無い宗教だと思うんだよな
「筋トレして筋肉つけば健康になるし自信がついて人生薔薇色だぜ。さあ俺と一緒にジムへ行こう」
この主張と変わんねえ
ちなみに俺は悟りは有って現代人も到達できるものだと信じてるけど修行してそれを追いかける気概は無い しかしこの間、葬式に出て坊主から魂がどうの何たらの神がどうのと話を聞いたが全く響かねーな
宗教の在り方も変えた方が良くないか?
あれでは何れ集金出来なくなりそう
少なくとも俺が死んだら葬式はいらん燃えカスは海に流せと言ってある >>170
釈迦が言ってるのはあなたの書かれてるようなことだけど、仏教はそれとは違う。信者のための教え。だから仏教に従い修行してる人は苦労するから悟れない。 >>168
権威主義に依ってしまっている部分があるのは事実だな
とはいえ、完全に権威に従っているかと言えばそうではなくて、きちんと科学のプロセスを実行している部分もある
つまり科学者は「染み一つない完璧な科学」は手に入れられていないが、「多少権威に汚れた科学」くらいは実現出来ているんじゃないかな
そして「多少汚れた科学」と「宗教」にはやはり大きな差がある >>172
おれは悟れると信じちゃってるからここは信仰でどうしようもないな >>171
葬式ってのは死ぬ人の為じゃなくて、生きてる人達の為のものだからね
科学ってのか、生物学では葬式というものが必要であるって考えている研究者も多いんだよ
実は葬式をするのは人間だけじゃないんだよ
カラスやイルカ、ボノボなどの類人猿と呼ばれるサルなどでは葬送行動と呼ばれる死んだ仲間を追悼するような行動をする種が存在するだよ
だから葬式ってのは最も原始的かつ本能的な宗教行動であり、それは種の保存繁栄には必要不可欠なものなのでは無いかってね >>173
宗教も限りなく黒に近いけど白い部分もあるといえる。その意味でかなり大雑把だけど割合が違うことさえあれ白い部分と黒い部分が存在するという意味では大差ないのでは?
また一方で見方を変えると科学も宗教も人を幸せにする意味ではおなじ目的にあるものなのだと思いますよ、もちろん宗教行事やものづくりといった手段は違いますけどね。 >>175
そりゃ動物だって仲間の死は悲しいわな
宗教ってのは人の悲しみに付け込んだ商売って気がしないでもないな >>174
それはそれでいいんじゃないかな。
実際世の中にはキリスト教の異端としてそれぞれ人々の中にキリストという概念が存在し成長していると主張する信仰もあるし。 >>177
宗教は商売だってのは見方が一方的に片寄ってる気がするよ。
不安な現実に教義による折り合いをつけて安心できるという面で良い点もある。
科学でいうなら、うつ病の人が病院に行ってうつ病だと認定されてほっとするのと似た感じ。 自分で実験、観察をしたり理論を辿らずに結果だけ妄信するやつは宗教の信者と同じ >>177
悲しいとはまた違うのでは?とも言われてる
個というものが群体ではなくそれぞれ意味性がある集団となった時に、集団内で1つの回路として組み込まれた個が損失したことをちゃんと集団に理解させる為の機能だと
犬猫やニホンザルなどでは死んだ子供や仲間をまるで生きてるかのように扱う行動をするものがあるんだよ
幾らでも変えが効く群体ではなく、それぞれに意味がある集団だからこそ抜けたパーツが抜けても同じ動きをしてしまうと
それを解消するようにした機能が葬送行動と呼ばれるものであり、脳機能が高度化するほどそれは複雑になっていたりする
カラスの一部では祭壇らしきものを組む者も居るらしい
だから、人間にとってはより複雑なもの、宗教的なものが必要だったのではとね
それが不要ってことは人間って種が集団から群体に退化してるのかもしれないね >>176
宗教も神の言葉とか教典とかの権威をベースにしているけど、その教典の中にも自然科学的な側面を持ってるのは分かる
だけど、白に近い黒と黒に近い白ってのはやはり別物だろう
あと、権威に立脚している宗教と、再現性に立脚している科学では求めている本質が違うのも大きい
宗教に再現性が混じること、科学に権威が混じることはそれぞれ本意ではなくて、人間の限界が起因している、いわばノイズなんだから
科学は真実を知りたいだけで、幸せになりたい訳ではない
科学が探求した結論には人間に不都合なことも多々含まれているからな 信仰とは違うのでは?
科学は必要な時に必要なものを使うだけの人が大半でしょ
また宗教を信仰している人でも科学を利用するし >>183
あなたの考えだと統計学は宗教性からすると一番必要のないもの、退化したものといえるのかもしれないね。 >>184
先に書いた講演で科学者が言ってたのが
良い科学者、科学を目指す者に必要なのは「分からない」と言えることだって言ってたなw >>185
科学は真実をしりたいのだろうけど、その知りたいと思って理論作り出したり実験したりする行動は少なくとも科学をしてる本人にとっては幸せだと思うよ。
そしてそれが工学や農学や医学に応用されて一般大衆に普及する意味では、一つの科学に対する真理を求める行動が幸せに寄与してる部分は少なからずあるんじゃないかな? >>188
確かに自然科学をはじめとした研究者は限界(知ってることと知らないことと)を知らないと専門家であるとはいえないからね。 >>179
そりゃまあ良い事があるから発展したのだろう
しかしなあ葬式が生きている人への救済としては随分と儀式や掛け軸の絵等の世界観が古臭いなと
天国やお釈迦様の絵を見てうわーこんな所あっても行きたくねーと思っちゃったよw >>189
科学者は知的好奇心が満たされるので幸せだろう
けど、科学の発展が人類を幸せにするのかは分からない
あなたの言うとおり生活を豊かにした部分もある
けど、戦争の道具を産み出したり、不幸な事実を予言して人々を不安のどん底に突き落としたりもする
その上で、科学は人類にとって善いこと悪いことの分け隔てなく、ただ真実を暴くために進歩する >>191
どう思うかはあなたのご自由にだけどたとえば「現世が楽しいあの世になんか行きたくねえ」という考えがあるのなら、それは中国仏教の考え方らしいよ。その意味でもしあなたにそのような考え方があるのなら中国仏教を調べて取り入れてみても良いのかも。 >>193
現世も楽しいけど死後の世界はこんな感じなら尚良いかなとw
https://i.imgur.com/x8icABJ.jpg
まあ脳細胞が死ねば意識なんてないとは思ってるけどね >>194
手塚治さんの描かれた火の鳥のロビタみたいに、意識を電脳空間に移動できればその夢も実現できるかもね。 >>196
この世が高度に発達した文明の計算機によるシミュレーションなら異世界転生もワンちゃんあるかもな >>197
人間社会が科学なり宗教なりで論理や権威で社会が形作られてる現状、計算機によるシュミレーション世界と今の社会はそう大差ないけどな。 >>197
なぜならあまり意識したことないかもしれないけど、実際己の思ったように現実社会はなってるから。意識無意識関わらず。 科学に対する認知は「認める」か「疑う」かの二択であって「信じる」か「信じないか」じゃないからな 質量もエネルギーのひとつの形でしかないってことだな 宗教って絶対的な神様を無条件に信じることだろ?(たぶん)
そんな神様は科学にも存在するんじゃないか
例えば、同じ条件がそろえばいつでも同じ結果が得られるというのは無条件に信じられてる
他にも、科学の公式や法則が「何故そうなるか」を遡っていくと、どこかしらで「実験結果がそうなったから」でしか説明つかない事柄にたどり着く
〇〇教が崇めてる神様よりもかなり現実を説明できるってだけで、中身は同じように思える ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています