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ウメは両親が不在がちだった安倍家の幼い兄弟にとって、母親代わりの存在だった。
晋三少年はいつもウメに「おんぶ」をねだり、中学生になっても彼女のふとんに潜り込んできて、
「こっちのほうが、あったかいや」と甘えたという。甘えん坊で頑固、自分の思い通りにならないと癇癪を起こした晋三少年は、ウメを手こずらせた。いたずらなら、まだいい。問題は学校の宿題をやらないことだったという。

「『宿題みんな済んだね?』と聞くと、晋ちゃんは『うん、済んだ』と言う。寝たあとに確かめると、ノートは真っ白。
それでも次の日は『行ってきまーす』と元気よく家を出ます。それが安倍晋三でした。たいした度胸だった。

でも、学校でそれが許されるはずはない。あと1週間でノートを全部埋めてきなさいと罰が出る。
ノート1冊を埋めるのは大変です。私がかわりに左手で書いて、疲れるとママに代わった」(ウメ)

両親の愛に飢え、母代りのウメを困らせて寂しさを埋めていた少年は、一方で「優しいおじいちゃん」だった岸 信介・元首相に溺愛され、依存した。
東京・渋谷の南平台にあった岸邸で日々、夕食を摂っていた頃、塀の外には日米安保改定に反対するデモ隊が連日押し寄せていた。
安倍氏は"おじいちゃんの敵"であるリベラル派を憎悪するようになった。

長じた安倍氏は、成蹊大学時代にはアルファロメオで通学し、友人と雀荘に通い詰め、学習院大のアーチェリー部との合コンに青春を燃やした。
この頃、政治的な言動は鳴りを潜めていたようだが、友人たちは憲法改正について熱弁を振るう姿も覚えている。

大学卒業後はアメリカに留学。ところが、名門である南カリフォルニア大学での勉強は1年足らずで挫折し、政治学科の単位はゼロ。
ホームシックから連日、日本の自宅にコレクトコールをかけ、1か月の電話代が10万円を超えることが続いたため、
父・晋太郎氏が「それなら帰国させろ」と激怒したこともあった。