ありそうな昔話・言い伝えを書き込むスレ
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
崇徳院の御世である長承の頃、世は酷い飢饉に見舞われていた
そんな中、長承二年(1133年)の夏、播磨国の某神社の神木の上に、青い狸と十歳余りと思しき四人の童達が突然現れたとの言い伝えがある
何でもその青狸はお腹から不思議な道具を出すことで、村の人間の病気を治し、飢饉に苦しむ人々に数多の食料を与えたそうだ
その後、動羅右衛門と名乗ったその青狸は長らく神として祀られ、村の人々から尊崇されたらしい
めでたしめでたし 万治元年(一六五八)横山外記の子某が、その日の勤めを終え、城からの帰り道であった。
大橋を渡ろうとすると、橋の下に白いけつを出している怪物がいて、大声を上げて某に迫ってきた。 某は一時は驚いたが、そこは武士の子、すぐさま刀を抜いてこれを切った。
しかし、よくよく見ると、それは怪物ではなくて人だったので二度驚いた。某はすぐさま家に馳せもどってこれを父に告げた。外記はただちに登城してこのことを君に報告し、検死の調査を願い出た。
早速検死の結果、この者は岸波太郎左衛門の下僕であったという。この者、妖怪のまねごとをしていたらしかったという。この者、人を驚かすことが好きな変態者で、この日もだれかを驚かそうと仕組んだ妖怪だったろうという。
それはさて、この一件の解決に家老たちの意見がまとまらず、 飛脚をもって仙台へ伺いを立てたが、その返事がまだ届かないうちに、怪物は主人の命で切腹をしたということになった。以来、大手の白けつの話となったのである。 治安2年(1022) 下総の街道で旅の高僧の前にしゃれこうべが現れ「千年ののち月見の乱が起きる」と予言した。
僧が未来を憂い建てたのが摩悪神社である。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています