芥川賞受賞した綿矢りさって天才じゃね?
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『蹴りたい背中』
とどきますか、とどきません。光りかがやく手に入らないものばかり見つめているせいで、すでに手に入れたものたちは足元に転がるたくさんの屍になってライトさえ当たらず、私に踏まれてかかとの形にへこんでいるのです。とどきそうにない遠くのお星さまに向かって手を伸ばす、このよくばりな人間の性が人類を進化させてきたのなら、やはり人である以上、生きている間はつねに欲しがるべきなのかもしれない。みんなの欲しがる気持ちが競争を生み、切磋琢磨でより質の高いものが生みだされていくのですね。でも疲れたな。まず首が疲れた。だってずっと上向いてるし。いつからだろう、さらなる飛躍という言葉が階段を駆けのぼるイメージではなくなり、遠くで輝くものを飛び上がってつかみ取り、すぐに飽きてまるきり価値のないものとして暗い足元へ放る、そしてまた遠くへ向かって手を伸ばす、そのくり返しのイメージに変わってきたのは。 『蹴りたい背中』
さびしさは鳴る。耳が痛くなるほど高く澄んだ鈴の音で鳴り響いて、胸を締めつけるから、せめて周りには聞こえないように、私はプリントを指で千切る。細長く、細長く。紙を裂く耳障りな音は、孤独の音を消してくれる。気怠げに見せてくれたりもするしね。葉緑体? オオカナダモ? ハッ。っていうこのスタンス。あなたたちは微生物を見てはしゃいでいるみたいですけど(苦笑)、私はちょっと遠慮しておく、だってもう高校生だし。ま、あなたたちを横目で見ながらプリントでも千切ってますよ、気怠く。っていうこのスタンス。
黒い実験用机の上にある紙屑の山に、また一つ、そうめんのように細長く千切った紙屑を載せた。うずたかく積もった紙屑の山、私の孤独な時間が凝縮された山。
長い
2行でまとめて 惹かれはしないけど惹かれるのも分かるって気持ちとそうでない凡の雰囲気の境界くらいはある
でもFランの現代文辺りには出題されそう いやこれ後に顔から火が出るやつじゃん
20才の頃に書いた文書はそんなもんだろ 結局文章なんて誰がどこに書いたかだからな
同じ文章でもネットに落ちてりゃくっさだし、芥川賞受賞作って言われればすごい!ってなる
人間なんてそんなもん いや描こうと思っても書けない名文だと思うんだが
結構賛否両論なんだな 陶酔感強くて無理だわってなる
若さを否定してはならないって葛藤が生まれるのは素晴らしいのかもしれない 初期2作は若い才能の光る作品だったし、あれは紛れもなく天才だったけど、そのあとのブランクが長かったね
最近地に足がついてまた面白くなってるけど純文学ではないな >>19
自演じゃなくID変わっただけだよ
何でそんなにキレてるの? 読みにくい
酔ってる感はある 美人じゃなかったら読む気にならんわ でもお前ら
「さびしさは鳴る」「私の孤独な時間が凝縮された山」みたいな表現できるか? その表現は全く響かないからしたいとも思わない
こいつ子供が背伸びした浅さがウケたんじゃないの?
いま文体違うし インストール乗る香具師居ないか残念あれは時代考えるといい オタク相手の恋愛の話だったよな
オタクに媚びただけ まあみんななかったことにしてるケータイ小説の時代だしね あとまあ当時この文章読むのと今読むのとではまた違う
たしかに今読んだら陶酔してる感すら感じるけど、当時はやっぱり明らかに綿矢が若者にしか作れないような新しい文体を作り出していて、高い評価は妥当という感じだった >>34
かわいい。当時皆藤愛子もいたけど小綺麗にしてたな >>36
凝視。当時31号館にパンチラスポットあって見えた 同時受賞したのはなんて名前だったっけ
確か同い年だったような ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています