思いつくままに書きまくろうと思う
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
ぼくは20歳で一度死んだと思う
社会に適合できず、うつ病を起こし、そして家から出られなくなって数年の間死んだように動けなかった
そして、朽木から芽が生えるように、いつしか自分は蘇った
自分の屍を糧として、歳不相応の幼さのまま蘇ったんだ なぜ死んだかって?
幼少期の環境の歪みに適応した結果だよ
社会と適切に向かい合えなかったのだから、死ぬべくして死んだと思っている 過去の自分を糧に復活する経験はあまり楽しいものじゃない
レジリエンスの発揮でこそあれ、高評価を得られるものでは決してないからな つまりあくまで守りの姿勢を続けるしかない
攻める余裕はどこにもない、だから辛い 鳶が鷹を生むというけど、鳶を鷹にしようとする試みは失敗した
ぼくはその失敗例だ 鳶は鷹を産めない
鳶が鳶として生きてきていたのに、いきなり鷹になれなんて無理な話だと思わないか? ただ一方で、鳶が鷹を生むこともできると信じている
親鳶が鷹になるべく努力し続けて、不出来な鷹となれたなら、それを見習った仔鳶が立派な鷹になる
私の努力はいつしか後進が報いてくれる
私はそう信じている これは自己治療を行うにあたって便利な価値観だ
発達障害者が…機能不全家庭の出身者が家庭をもつことなどできないのだが、
これなら自身の子供がいなくても、手本となるべく努力する口実ができるから 自分の過去をすべて忘れて、否定して、そうしてようやく蘇ったんだ
簡単にやっつけられてたまるかよ 価値観の変容は大変な苦痛を伴う作業だ
自己否定の連続だもの
ぼくは運が良かったけれど、自殺していてもおかしくないくらい辛い作業だった 親のことはひどく恨んでいる
不出来な子供の面倒を見たうえで逆恨みされるのは気の毒だが、それに値するからしかたない
どうせぼくで末代だ 墓の管理はあきらめな 子供の頃の思い出がなにひとつない
灰色の人生を送ってきたものでね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています