【速報】米軍がアルカイダ指導者を殺害
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こういうのっていいの?
司法とか関係ないじゃん アイマン・ムハンマド・ラビーウ・アッ=ザワーヒリー は、アルカーイダの作戦及び戦略責任者とされる人物。報道などでは「ザワヒリ容疑者」と表記されることが多い。外務省は「アイマン・ムハンメド・ラビ・アル・ザワヒリ」名で特定している。アラビア語、フランス語、英語を話すことができる。 ウィキペディア
生年月日: 1951年6月19日 (年齢 71歳)
フランス語英語てインテリだな >>2
アメリカはテロとの戦争は随分前から超法規的処置で対処してるな。そんな事言い出したらビンラディン殺害も違法というか他国の領土にいる人間を無法に殺してるしな。 1951年に、カイロ郊外のマアーディの中流家族に生まれた。
父は薬学と化学の大学教授で一族で医家を成し、
母は政治的に有力な一族の出であった。
また祖父はアズハル大学の著名なイマームであった。
ザワーヒリーは成績優秀で詩歌を好み、争いを好まない穏やかな性格であった。
ザワーヒリーの両親も敬虔ではあるが狂信的なムスリムではなかった。
サイイド・クトゥブの思想的影響が広がる中で、叔父の影響を受け、政治やイスラーム主義に関心が向い、14歳でムスリム同胞団に入団。
翌年、クトゥブがエジプト政府に処刑されたためザワーヒリーらは地下活動に移った。
当時、ザワーヒリーは「クトゥブ主義を行動に」とスローガンを記している。
カイロ大学医学部に進み心理学と薬学、そして外科医学を専攻し、
1974年に卒業するとエジプト陸軍で3年間外科医を務め、その後、実家の傍に開業した。
1978年には修士号も取得、眼科医として卓越した技術を持つ。
その年、カイロ大学で哲学を専攻していた女性と結婚した。
二人は1男5女をもうけた。 アメリカ連邦捜査局はザワーヒリーを「最重要テロリスト」22名に指名、ビン・ラーディンに次ぐ2位の重要手配犯として2500万ドルの報奨金をザワーヒリーの首に懸けている。
一方でターリバーンは2001年11月にビン・ラディンとザワーヒリーにアフガニスタンの市民権を公式に与えた。 これで世界はロシアはわるーいって言ってんだから頭おかしいわ
>>5
めちゃくちゃじゃん
イラク戦争のときもそうだけどアメリカもよっぽどキチガイ
ロシアを非難できる立場じゃない 911の作戦立案者がザワヒリだっけ?ビンラディン暗殺後も見つかってなかったやつ テロリストはアフガンに集まるからやりやすいってか? >>9
まあ無茶苦茶だな、中国、ロシア、アメリカは世界三大犯罪国家やな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています