努力できる能力は才能なのかを語るスレ
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俺は、努力は先天的なものじゃなく、後天的に得られるものだと思う。 やろうと思えば今日からできるんだから才能とは言わないだろ 努力が才能と決まると、世の中のありとあらゆる秩序が「努力できないんだから仕方ない」で片付けられるからおかしなことになると思う。 親が放任主義の家庭で育つと努力できない
何かしようにも何をやったらいいか分からんから 努力は才能という言葉は、努力しようとしない人間の言い訳にすぎないとおもうんだ。 前提がおかしい
才能ってのは〇〇の才能というように何かの才能である
ならば努力だって〇〇する努力と定義すべき
であれば〇〇する努力の才能が成立するし
〇〇する努力が出来ないんだから仕方ないも成立する >>12
つまりは後天的に身につかなかったということになる。 努力は才能
コツコツやれぱ出来る事くらいわかってるがやりたくないもんはやりたくない >>10
就職するまで遊んでた奴が急に努力することもあるから矛盾するしな
才能なら受験勉強も頑張ったはずだ 自身ではどうしようもない
生まれ持った自堕落な性質のせいで
努力も何もできない運命に
縛られてるんすわ(´・ω・`) 好きなことややらなければいけないことには努力できるかもしれないが、その他の興味ない事には努力しないと思うんだ >>34
あー。それは程度の差はあれど、どんな人でも持ち合わせてそうね。 才能に決まってんだろ
人生なんて遺伝と環境と運で決まるもん 努力できるのが当たり前
出来なくなった理由が必ずある
それは自分でも分かってない事がほとんど >>30
私が見たのはアメリカの本の翻訳書だったんだけど
どの本か絞れん
努力 遺伝 で検索するといろいろ出てくるから見てみて ある程度の平均値まで近づけるのが努力で、ほんの一握りの人間にしか到達できないのが才能
そもそも努力なんて続けた時間か残した結果で意味合いが違うし、時間と結果が必ずしも釣り合うとは限らないし 才能という言葉を先に使った方がどういうつもりで言ったかによるけど大抵は飲み込みが早いとかポテンシャル的な意味で言ってる
努力するのも才能〜の才能とは同じ文字なだけで意味の違うことでただ屁理屈的に返してるだけ
会話が噛み合ってすらいない
ひろゆき的 >>36
それを認めてしまうと世の中のありとあらゆる教育が全否定されんか? >>39
努力で得られるものにある程度の限界があるってことか。たしかに。 >>42
教育は遺伝で人生の半分が決まるのに対してもう半分のうちの大きなウエイトを占めるから重要やで 努力に勝る才能は無いだろうってのは1%閃きと99%の努力からなるって言葉通りだろうけど、その1%のおかげで99%の努力が成り立つという考え方もある 才能じゃね
努力にも人によって差はあるわけじゃん
学年トップになるやつもいれば五位のやつもいる
イチローみたいなプロもいればなんとかプロをギリギリ維持してるやつもいる
みんな努力してそこに立っているのに結果は違うんだよな
人並み外れた努力してるやつもいれば、人並み外れた奴以上に努力してるやつもいる >>45
あれは1%の才能がないとどんなに努力しても意味ないってことやで 適度なストレスでは普通の人間ならノルアドレナリンが出るんだが
この「適度」の量が個体ごとにばらついてる >>46
努力の度合いに個体差があるって考えか。なるほどねぇ。 努力はやる気
やる気が有ってもどうにもならないのが才能 才能の定義なんて人それぞれだって言うと終わっちゃうかこのスレ >>48
生物学的に見ても、その辺の個体差が努力できるか出来ないかに繋がるのかなぁ。 その1%の才能があるかないかを見極めるにはやらないといけないよ >>53
後天的に伸ばすことも出来そうだけど
適度な量がほぼ0に近いやつはやりたくないこと興味ないことは努力できないと思われる
これがいわゆる発達障害の一部かと >>50
そのやる気は、生まれつきあるものか、そうでないものかどっちだろう? 何を目指すかによって努力の度合いが違ってくる
受験で例えるなら、難関大目指すなら努力量が増えるし、入れればどこでもいいなら努力量は減る 仮に一年で結果を得られた奴と、結果を出すまでに十年かかった奴がいて「努力したのはどっちでしょう?」ってなったら
前者は「一年で人の数十倍努力した」と言えるし、後者も「十年間努力し続けた」とも言えるわけじゃん
うゆ 才能と収入は別
誰でもなにかあるはずだ
金になるかならないかの違いだけで >>57
極度に欠如してると、流石に後天的に身につけるのは難しい個体が出てくるのかもなぁ。 俺は昔から仕事でもゲームでも飽き性で長く続けられなくて何でも適当にやる性格だった
けど潰れかけの家業継いでからは死にものぐるいで働いてる
人生で初めて努力したと胸張って言えるようになった >>59
努力できる出来ないよりも、人によって必要な努力は量もベクトルも違うから、一概に測れんのかもなぁ。 >>63
そういった、努力→成功の流れがあるから、俺は努力は後天的に得られるものだと思うのよね。 野球でいうと大谷とかイチローみたいな飛び抜けてるのは才能だなと思う
野球のプロになれるのはほんの一握りでそれだけで才能はあるっちゃあるんだろうけど
努力でどうにかしてる人もいるんだよな
結局努力も才能も切り離せない関係にあるからどちらがあるなしを考えて損得勘定働かせてるのはおかしい話なんだよね >>62
なので一応薬が役に立つわけです
あんまり発達障害のひとらは自覚なさそうだけどな やらずにはおられないことがある
例えば漫画描くの好きで起きてる間ずっと漫画描いてたとしよう
これが必ず売れるとは限らない
売れなかったら努力ではないのか
否、売れなかったとしてもそれは努力である ちょっとだけ、話を変えると、
たとえば、「自分の目標に向かって努力しなさい」って言ったときに、「生まれつき努力できない特性なんで」って返されることは正当かどうかを教えて欲しいの。 やれてる奴にとっては後天的と答えるやつが多い
やれてない奴にとっては先天的と答えるやつが多い 本人は努力とおもわない時期あるいは部分をのばして努力とのばしたのがつよいんだとおもう >>70
そうなのよ。だから、先天的って言う意見は言い訳にしか聞こえんのよ。 才能って一言で言っても社会には色々な分類があるから、
その才能があるか無いかって事で良いのでは?
100分の1ぐらいなら誰でも持ってるものはあるって事ね >>68
結果を顧みずとも、努力できるかどうかってのも大事なのよ。 >>73
もってる才能が個体によって違うってことかぁ。 ちょっとやって、俺には才能ガーって言ってなんでもやめる人が多すぎるんだよな
確かにちょっとやって才能があると言われる人もいるけどそんなのほんの一握りで
ほとんどが努力で磨いてる…もちろん才能あるやつも努力で実力を倍々にしてくけども
努力ができない人ははじめから理想が高いのかな 努力できないって言ってる奴も何かきっかけがあればやる気になって努力するよ
できるできないの話はそもそも無くて、何でやらないのかの話だけだと思うんだよね >>69
ふーんって認めてあげていいんじゃない?
二度と関わらないと思うけど >>58
やる気は後天性
誰しも気持ちの浮き沈みだってあるし興味の矛先も違うけどもね >>79
俺も現実で出くわしたらその対応するなぁ。 >>77
完璧主義者は、努力に踏み切ることが難しそうね。 ならば成功や利益や勝ち負けを抜きにして好きでやらずにはおれないことがある
これだけで才能があるといっていい >>76
そそ、それに気付くのも才能の1%に含まれると思う、それを伸ばすのが99%だっていうから面白いよね >>69
まあ諦め癖があるならもうどうにもならないからね
そこで終わるよ、成功体験が全くないんだろう
そういう人を動かすのは相当難しいよ
本人にちょっとずつ何年もかけて成功を積み重ねさせないと治らない 努力自体は誰でもできる
その努力が成果につながりやすく実行できるかは「努力の才能」による >>82
蓮舫の、2位じゃ駄目なんですか?って言葉だけはいいとは思うわ 才能あるやつは誰に言われんでも勝手にやる
熱中できるものがないならそれはもう凡人なの >>85
成功体験を小さい頃に身につけられなかった人間って本当に残酷だと思うの。 >>87
その後、2位じゃないものが出来上がったって考えると努力できるキッカケになった例かもね。 結局努力してる奴は実はただ単にその打ち込んでるものが好きなだけ
勉強してる奴も実は学ぶのが好きだったりする
結局好きになれるかなれないか
それが才能だと思ってる >>86
努力の効率と時間は才能によるものかもね。
ただ、努力に踏み切れるかどうかは後天的に得られるものだと思うのよね。 >>69 正当かどうか問われたら俺はある意味正当だと思うよ 努力そのものは才能関係ないけど努力する環境 人間関係を作れるかは才能と運だと思うし 自分が努力したといえるものって色々な人に支えられたから出来た事だと思っているし 正当ではあるけど好かれもフォローもされないとも思うがね >>91
興味があるなしは努力の有無に関わりそうね。 他人を変えることは出来ないからな
努力の才能がないって言うなら無理やで
どうやったら努力出来るの?って聞かれたときのための答えをもっといたほうがましです できるけど嫌いって人は本当に嫌いなのかもしれんけど
できないから嫌いって人はできるようになればいいだけ >>92
うん、だから努力自体は誰でもできるって言ってるじゃん 俺は何十年も生きてきて一度も努力出来なかったから才能もあんのかなーとは思う 「努力の才能」ってのは個人的に過去の成功体験の積み重ねがあるかどうか、だと思う
人は褒められて成長するってのは真理だと思う
子供の頃に褒められて成長すると、ドーパミンの分泌が活発になるし特に一つの事柄に対してのドーパミンの分泌が多いと大人になっても同じことしてたりする
ゲームとかかんたんに成功体験得られるから努力できない人でもゲームだけはずっとやってたりするしね 結論。
努力と一口に言っても、「何をどのようにどれだけ」努力出来るかが人によって違うからそれは才能だし、きっかけがあれば、その度合いを伸ばすことも可能やけど、限界はあるって感じかな。 >>101
結局、努力→成功の反復で成り立っていく世界なのかな。 目標を高く持ちすぎなければ後天的かな
ネットで色々知りすぎて最近の若い人は目標基準が高過ぎるんじゃね? 能力の才能、努力の才能、環境
この3つの才能がよく語られるな
環境は一番大事だと思う >>107
所謂完璧主義に近づきつつあるし、欠点を無くしたがる性質も強いのかもね。 アインシュタインが幼児の頃からE=MC2とか言ってたなら話は別だけど、おっさんになってからだしな 成功体験があるから努力を肯定出来るヤツがお前のいう後天的なタイプ
成功体験がないのに努力を肯定できるヤツがお前のいう先天的なタイプ
これがお前の話を聞いてて思った一番近い答えだよ 発達障害とかで集中できない人間もいるし先天的なものもあるんだとは思う >>111
成功体験無いのに努力の価値を知ってたらモノホンよな。 >>106
うん
あと、楽しんで成功もある
努力と思わずにやってるパターン
これもまた才能だな、言い始めたらきりがねぇや 難しく考えすぎなんだよ
やりたくないならやりたくないと言えばいいんだよ >>118
ちがう、俺はやりたくないことほど向かい合うべきだと思う人なのよ。 先週だかのテレ朝の無人島脱出企画を見て結局最強は運だよな、て思うた 俺はゲームが好きで努力して少しは上手くなったけど才能は無かった
才能有っても努力しない奴には勝てても努力する才能ある奴にはどう足掻いても敵わない
やる気だけじゃ限界が見える
社会に出て言われるのは「やる気出せ^^」 下手で辛いなら楽しめるまで努力する
そして楽しんで練習を重ねる、ここまで来たらもうあとは成長しかない
そして下手で辛いのに努力できるのは成功体験があるかないかで変わってくる
子供はいっぱい褒めてあげてね 努力の意味を考え出すと成果が欲しくなる
でも自分や周囲を納得させる程の成果はネット環境のおかげでアホみたいに高いハードルになった
個人目標をちょっと達成するような自己満足じゃ人様には見せられないし満足しない
結果テッペン取れないならやる意味無いじゃん的な極論を支持しがちになる
辻褄は合うような気がする >>124
ちょっとした成長を見逃しがちな世間になってる気はするね。 >>119
成功者の多くは得意な事を伸ばして結果を出してる
不得意な事ややりたくない事をがんばっても効率悪いだけじゃないかな 才能とか持ち出すのはやりたくないからでしょ?
才能なんかなくてもやればいいんだよ >>127
上を目指しすぎてるんだろうな
完璧主義ってやつ >>126
好きなことばかりじゃなくて、いろんな努力をすることで自分の知らない世界を知ろうとする好奇心も大事だと思うの。 つーか才能とかってようは遺伝のことだろ?
なら輻輳説でおわりな話じゃねーか! 結論として楽しめて続けられるのが才能
そこに他人なんてのは関係ないしな お前らはいつの間にか
キーボードを打つのがかなりのスピードになったが
努力したつもりは無いんだろ?
つまりキーボードを打つ才能があったって事だ >>134
無意識にできる努力も才能なのかもなぁ。 >>133
じわじわ積み上がるものなのか、ある日突然花開くものなのか… >>136
積み上げていってあるレベルまでいくと形になる(花開く)
のが環境閾値説 才能があるからやりたいと思ったことが具現化できて楽しくなって努力もできる。
才能がなければ努力スラ不可能 >>138
一定の経験点でレベルがあがるポケモンみたいなもんか。 >>139
そういうサイクルに入るまでの苦行が真の努力なんだろうな 努力、才能、運(環境)の中で自分で変えられるのな努力しかないから、何するにしても努力するしかないと思う。 百発百中ってのは偶然だし、もっと上の数字も偶然ですのでご安心下さい 産まれ持った能力に沿った努力のきっかけ掴めば努力できると考えれば、「努力も才能」なのかなぁ 望めばそのとおりの人格になれるわけではない
自分の醜さに苦悩する人間もいる とりあえずやってみてすぐやめるのはもったいないな 伸び代なんてある程度やらないとわかんねーし やってて苦痛とかとりあえずやってみることすらできないなら違うアプローチがいるけど 止めるも続けるも自分次第っていう自由意志はあるかと思われる 努力出来るのは才能があって向いてるから
伸びが速いとか面白いとか感じる
そういう連中のトップ層がプロになれたりする >>156
成長期の最低限の栄養とか運動とかの環境もいるけどね まぁ限界はある分野だね >>156
その通りだね、身長で劣るやつの真似なんかするはずはないし、何の影響も受けないよね、それで良い 努力すること自体は特別な才能なく誰にでもできるけど、その限界量は才能だと思う
受験勉強で言うなら1日1時間の勉強でもメンタル病む人いるし、14時間とかやってもケロッとしてる人もいる マラソン選手は走り続ける事で酸素を多く取り込んだり持久力の有る筋肉が成長したり後天的に身体的特徴を得る事が出来るけど高地で生まれ育った人は先天的にこの特徴を持ってるな
だからと言って高地出身者に全く歯が立たないかと言う訳でも無いし生まれ持った才能は人それぞれだけど努力しない事には本人にどこまで適正が有るかもわからない
とりあえず好きな事の為にすら努力出来ないのはただの人間性だと思うわ >>162
14時間もできる人は勉強の中でミッション目的の策定とセーブポイントの策定とミッション達成の設定が上手いんだと思うよ
まあこれはどんなことにでも言えるが てかなんで誰も努力についてその中身議論してないんよ
がむしゃらに毎日素振りだけしてても野球上手くならないように努力の中身が重要なのに
めちゃくちゃ努力して毎日素振りしてたのに野球上手くならなかった俺には才能ない努力なんて無意味だなんて言われてもアホらしいだろ
そこまで極端でなくても努力の中身抜きに才能か努力か議論しても意味なくね 実践にこそ意味があるし、実践のない努力を努力と呼べるかは別として、現実ってのはかなり実践的なものだと思うよ あなたの1日の睡眠時間はという質問に対するセゴビアの答え~ずっと昔から1日4時間が私の睡眠時間です。明け方の3時に床につき、朝7時まで熟睡します。それから私のスタジオに上り(マドリードのセゴビアの自宅はマンションの3階と6階の2フロア有り、6階にスタジオがある)7時半から9時まで練習。その後3階まで降りて朝食を取り新聞を読んだり、その日の出来事に目を配ります。一休み後、スタジオに行って先程と同じく1時間15分(計算すると先程と15分ほどの差が有るがそんなことはどうでも良い)ギター練習。そして昼食。午後も休みをまじえながら2時間ギターを弾きますが、その合間に30分椅子に座ったままで仮眠を取ります。このように練習と体と休めることを交互に行うことにより、私は未だに1日5時間練習してもちっとも疲れません。
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