【境界例の正体が分かった。】「実存的境界例論」
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・境界例が猿真似をするのは「自分の価値観が無い」から
・「価値観=挫折の逆算」
・頭が悪く、理解力が既存のインフラを超えられないと、挫折が出来ない
・「卵割」から「個=インフラの為の仕組み」
・挫折が出来ず、価値観が定まらず、担うインフラが定まらず、個である必要性が得られない
・精神的には個に至れないのに、肉体的には個体として存在しちゃってる
・その差を埋め合わせる行為が境界例
人為的な差別はダメだけど、産まれて来てはいけない人間も居るってこった 詳細
h ttps://note.com/existential/n/n090c36aef3d9 袋叩きされる想定をしていたのに全然反論が来ないのな ごめん境界例とかいう馴染みのない単語についてくわしく 心理学もうちょっとちゃんと勉強しようとは思わないのかね >>17
人格障害のB群(自己愛性人格障害、境界性人格障害、反社会性人格障害、演技性人格障害)の総称
個人的には所謂メンヘラや、同性ストーカー、キョロ充、無キャ等もこれだと考えてる
アイデンティティーをナチュラルに確立出来ないもの全般、的な 仮説の立脚はこんなもんでしょ
あとは証明するかどうかってだけで 個人的には今までの心理学はズレているとも思ってる
何でも性欲で解釈する某おじさんが権威を持ち過ぎ >>21
まあね
証明なんて出来る内容なのかなこれ 猿は頭がスッキリすると証明されたと感じちゃうんだよ
猿だけに 自分と自分じゃないものを実感できる体験が個としての人格を作るってのは俺もなんとなく共感できる
ただ頭が悪いとか挫折が出来ないっていうよりは
個性を大事にする風潮が蔓延って人格形成への社会的な圧力が低いっていう最近の風潮が関係ありそうだなと思った >>20
心理学史と現代の精神医学の違いが曖昧だろう?
境界例は現代では既に存在しないよ >>28
まあ間接的にはそうだと自分も思う
実存に対するインフラ観を自立的に確立出来る人間は極一部で、
その他大勢にはそのカリスマが社会的に課題を示す必要があるけど、
現代は個人が尊重され過ぎて全体としてキョロッてる
挫折出来ない人間に個性の尊重なんて無駄なんだよ 自分の思考を盲目的に信じるな
思考など事実に対する空想にすぎん >>32
猿知恵という話だ
猿を貶める気はないが人間とかいう猿は貶めている >>30
そうなの?
勉強したのが十年前だから最近の事は分からない
なんで無くなったの? 境界線とやらありきで議論しているようだが境界線じたい空想上にしかない >>37
このレスでちょっと思い浮かんだことだけど
そもそも人間は社会的な動物だから他者との境界が曖昧でも機能としては概ね問題ないんだよね
変わってしまったのは近代以降の「所有と取引」が前提になって生まれた
個人の自由や権利っていうある種の幻想を実体的なものとして捉える社会の方なのかしれんな >>28をもっと掘り下げると、「ゆとり教育」は日本人のアイデンティティー史的には凄く良い政策だったと思うんだよね
学力的にはアレだけど
それまでの「戦争や敗戦処理等の為の教育」から、子供達を手放してみた、と
国ではなく、子供達本人の個性を重んじてみた
その結果が「境界例」「キョロ充」「無キャ」の露呈
つまり「アイデンティティーを自立的に持てない人間が居る」というのをハッキリと露呈させた
この功績は大きいよ >>39
人格障害の線引き感覚で例えてみると、
君が空腹で死にそうでも、境界例は「俺はお腹空いてないから、皆もお腹空いてないはず」みたいな
「俺はお腹空いてないけど、君はお腹空いてるんだね。じゃあ俺のおにぎりをあげるよ。」みたいな社会性は、寧ろ線引きがあるからこそだよね まだやっててワロタ
俺しかnote読んでないと思うよ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています