四方を海に囲まれていながらなぜ日本人は海の外を目指さなかったのか?
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海の外に行った人は日本より居心地が良くて帰ってこなくなったから ちなみに俺が学問に頼らずグーグルマップ見ながら己の考察のみで出した答え
「大航海時代の発端ってスペインとポルトガルだけど、こいつらの国の先っちょにあるジブラルタル海峡ってアフリカ大陸まで13kmしかなくて
肉眼ですら“この海の先になんか土地あるくね?”と確認出来た事が大きいんじゃね?見えてるならたぶん行って戻ってこれると確信できるわけだから行く奴もいるよな」 あと海外の必要なものは大体中国経由で手に入ってたし 言ってることわかるべ?
https://i.imgur.com/qEsc6Oi.jpg
むかしポルトガルやスペインあたりに住んでた人「海はさんでなんか陸地あるくね?」
んで一回アフリカのほうまで行くだろ?
それから陸地沿いに右の方に行ってみるとイタリアとかがあってそのまま陸地沿いになにがあるんだべやと船を進めて「あれ?これうちの国じゃね?戻ってきてね?」と気付いた >>8
海外って言うけどあの辺は元から盛んに行き来してたし半島南部は倭の勢力圏で外国との認識すらないだろうけどな
対馬から目視できる距離だし つまり民族の気質が大航海時代を生んだのではなく、地形がはじめから運命を決定づけていた
最近で言うところの地政学 鹿児島は結構精力的だったよな
鹿児島というか薩摩
沖縄もあれだしイギリス貿易って
あれ単独だっけ? 気付いたも何もその頃には地球が球体であることは感じてたし
そして測量技術もある程度発展してたから 日本から見て北は氷しかないし、東は「何も無い」と錯覚するほどでかい海だし、西か南しか選択肢なかったわけだけど
1番近い西すら命懸けの航海で行くリスクとリワード見合わなかったんだろうな 琉球も一つの国ではあったし日本中国双方と貿易していて文化面では中国の影響が強いけど言語は明らかに日本語の系統 大きい海流が島のない方向に流れてるから立地条件悪い 言うほど命懸けでもないけどね
大型船舶の造船技術と気象条件の問題であって少ない人数で朝鮮経由なら気軽に行って帰ってこれる >>12
>>1的には日本人が「地理的に」海の外に世界があることを認知していたかどうかって話だろ?
俺が海外って言ったのには語弊があったけどさ >>20
赤道付近は海流乗ってりゃアメリカつくもんな 認知してただろ
だって日本人自体海外から入ってきたんだから 需要がなかっただけだろ
現に中国ですら大航海してないし
外に資源を求めなくても事足りてたんだわ あと欧州は比較的小国が乱立してたから外を目指したのもある
アジアは中国という当時の超大国中心とした関係が出来上がってたから そもそも
世界に出るのも大変だっただろうけど
列強も日本攻めは苦労してんだから
良いとこも悪いとこもあるな
最近日中両国から
弘安の役 文永の役
詳細出てて 台風だけが元寇退けたわけじゃなかったって
判明してんな
鎌倉武士の戦闘キチ外ガイっぷりがいろいろ出てる 地中海交易でガンガン航海術と造船技術を高めていって経済も豊かになり、余裕が出てきてアフリカのほうまで行ってみるかと足を伸ばしてみたら超遅れてる真っ黒いやつらが居たので
「なんじゃこいつら。こいつらから土地奪ったろ」
と考えてしまうのは自然な事だったのかもしれない 行って帰ってくるのを安定して出来ないからやりづらかったんだろな
つか考えてみたらやるようになったのって開国以降じゃね?めちゃ最近 日本語は発音的にオーストロネシアとの共通点が多いのもあるからね
大昔の方がよっぽどグローバルだよ
定住自活できるようになってからは土地に縛られてその土地を離れるわけにもいかず守りに入ったってこと ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています