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2022/05/20(金) 04:34:06.605ID:0hkK8Zcu0「死んだ真似で生き残った」――沖縄の集団自決、生存者が語る75年前の悲劇
日本兵から聞かされてきた戦陣訓
「生きて虜囚の辱めを受けず(捕虜になるくらいなら死を選ぶの意)」という戦陣訓の教えによって、自死を迫られた。
村長の「天皇陛下万歳」が響き、近所の防衛隊員が持ってきた手榴弾が一個ずつ渡された。
兼城さんも親戚、家族そろって円状にロープで巻かれ、頭から着物をかぶせられた。
幼かった兼城さんはその時、自決が怖いとは思わなかったと言う。
「それまで日本兵から『米軍に捕まると鼻を削がれたり、強姦されたりした末に殺される』と伝えられていたんです。
それはもう、みんな米兵を怖がっていた。それなら自決のほうがいい、当然だと思っていました」
まもなく広場のあちこちで手榴弾の爆発音が轟いた。
「わー!」という悲鳴や低い呻き声、女性の甲高い叫び声、子どもの泣き声。
兼城さんのいた輪でも、近所の防衛隊員が手榴弾を爆発させようとした。だが、爆発しなかった。
「印象では、広場の半分くらい爆発しなかったです。でも、命令でしたから必死でした。手榴弾を持って、
鍬の刃の台座部分で一生懸命叩いているわけです。でも爆発しなかった。それで諦めて逃げ出したんです」
生き残った人たちはパニック状態となり、近くの日本軍陣地にどっと流れ込んだ。
ところが、日本兵たちは住民を助けるどころか、日本刀を抜き、「住民はここからすぐ出て行け!」と斬りかからんばかりの形相で怒鳴った。
なお戦陣訓を垂れた東條英機はノコノコと捕虜になりましたとさ