2008年北京五輪で物議を醸した「口パク騒動」、明暗分かれた少女2人のその後

2月4日、北京冬季オリンピックが開幕する。北京でオリンピックが開催されるのは、2008年の夏季オリンピック以来、14年ぶりだ。その14年前の北京夏季オリンピックの開会式で、「口パク歌唱」騒動が話題になったことを覚えているだろうか。大舞台に立った少女と、実際に歌った少女――。その後の2人は、対照的な人生を歩んでいた。
● 14年前の北京五輪開会式で 注目を集めた“口パク少女”

 2月4日、オミクロン株が世界各地で猛威を振るう中、北京冬季オリンピックが開幕する。北京でオリンピックが開催されるのは、14年前の2008年に行われた夏季オリンピック以来となる。

 2008年は、国の改革・開放が実施されて30年に当たる年でもあり、経済は順調に右肩上がり、人々は物質的にも、精神的にも豊かになった。2008年の北京オリンピックは、そうした著しい成長を遂げてきた「大国」の存在を国内外にアピールすることができた。開会式も、LEDやCGなど現代の技術を駆使して、中国の悠久の歴史や文化を象徴するような豪華絢爛(けんらん)な演出が印象的だった。

 そんな2008年の北京オリンピックの開会式で、赤いドレスを着てかわいらしい笑顔で歌を披露した少女のことは、日本の皆さんの記憶に残っているだろうか。

 少女は、中国の愛国歌である『歌唱祖国』を歌い上げ、その歌声が中国の人々を魅了した。「まるで“天使の声”だ」とたたえられた。筆者の友人は、当時をこう振り返る。

 「『五つ星の赤い旗が風になびき、勝利の歌はどれほど高らかか。愛するわが国はこれからますます繁栄し富かになる……』という(意味の)歌詞を聞いた時に、鳥肌が立つほど興奮した。わが国はこれからもっと強くなり、世界の頂点に立つんだと感じた。同時に、この9歳の女の子は、これから世界に名をはせるだろうと思った」

 実際、大舞台で世界から注目を集めた当時9歳の少女、林妙可(リン・ミャオコー)は、開会式翌日の米紙ニューヨーク・タイムズの一面で「中国のナンバーワン子役」と報じられた。

 ところが、わずか3日で状況は一変した。

 開会式の音楽担当を務めた総責任者の陳其鋼(チェン・チーガン)氏が、歌は事前に録音していた曲であり、実際にはもう一人の少女、楊沛宜(ヤン・ペイイ)が歌っていたことを暴露したのだ。この「口パク騒動」は、瞬く間に国内外で大きな話題となり、中国国内からも批判が殺到。米タイム誌はこの騒動を「2008年世界の10大スキャンダル」の一つとした。出演した林妙可は、突如として渦中の人となった。

● 監督や出演した少女に 批判の声が殺到

 実際に歌ったもう一人の少女、楊沛宜は当時7歳。彼女の声や歌唱力は申し分なかったが、ちょうど歯の生え替わり時期だったため、中国で最も著名な映画監督でもある、開会式の総プロデューサーを務めた張芸謀(チャン・イーモウ)が、林妙可を表の舞台に立たせたのだ。楊沛宜と彼女の両親は、このことを開会式のほんの数日前まで知らされていなかったという。

 登壇して歌うことを楽しみにしていた7歳の少女にとっては、残酷すぎる現実だった。彼女は取材に対し、「悔しさのあまり、自分の腕をかんで、腕に歯の痕が残っていた」「またオリンピックがあっても、もう絶対歌わない」と話したと、当時の中国のメディアは報じている。

 中国国内で一気に沸き上がった批判の矛先は、張監督だけではなく、実際に舞台に立った林妙可や彼女の母親にも向かった。

 「張監督は、外見を重視した結果、林妙可を起用した。完璧を追求した結果、本末転倒な結末となった。世界を前にして、わが国の顔に泥を塗ったのだ!」

 「林妙可は操り人形だ。あの笑顔は作り笑顔だ、こどもの自然なかわいさが一ミリもなかった」。

 一方で、楊沛宜には多くの国民が同情した。

 「歯が生え替わっているという理由でせっかくの舞台に立てないなんて、あまりにかわいそうだ。それこそ、子どもっぽくてかわいいじゃないか」

 「大人の理不尽な都合で、7歳の子どもの心は深く傷づいた。許せない!」

 といった声が多かった。
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