宗教の聖典って哲学書として読むと割と面白いよな
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宗教大弁論大会でもすりゃいいんだよ、負けた方が今の世に必要のない邪教ってことで >>4
いろんな考え方があった方がおもろいじゃん
正しい生き方なんてないんだし 日本人だと 論語から諸子百家 とか読むようになるだろうけど
それでも 聖書は 別格のすぐれた書物だとおもう(´・ω・`) >>6
無いけどね
まぁでも信者じゃないなら哲学として読むしかないじゃん >>7
聖書全然読めなかったわ
西洋の古典はストーリーがよく分からんくて読みづらかった
中国古典はめちゃわかりやすい菜根譚とかマジ好き 聖書が 別格だと感じるようになる理由は人それぞれだろうけど
ある日 突然気が付かされる・・・・(´・ω・`) 東洋だと 孟子 荀子 で性善説 性悪説 っていう構図で考えさせるけど
それに対して聖書は 蛇と知恵のきのみ そしてそこから 原罪 について考えるようになる(´・ω・`) >>15
へー
聖書見てみたけど目次が読みづらかったなあ
どこから読んでいいのか分からない 釈迦とかプラトンとかは受け入れられるけど神統記とか旧約聖書までいくと「あ、はい...」ってなる わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ >>19
釈迦ってすごい難しくないか
まずは財産すべて捨てることからスタートだよ 俺はユダヤのタルムードとか、なんで賢いことばっか書いてあるのに選民思想なのかが分からん
ユダヤ教以外の人間は死みたいな
奢れるもの久しからずやぞ😡 ブッダについては中村元の翻訳初期仏典読むのが一番いい >>20
エペソ人への手紙(口語訳) 第6章
14 すなわち、立って真理の帯を腰にしめ、正義の胸当を胸につけ、
15 平和の福音の備えを足にはき、
16 その上に、信仰のたてを手に取りなさい。それをもって、悪しき者の放つ火の矢を消すことができるであろう。
17 また、救のかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち、神の言を取りなさい。 >>22
釈迦は世界の成り立ちより人の苦悩の根源とは何かを語ってそれへの対処法を語ったりするやん
実践は無理としてもそういう考えもあるねって感覚的に受け入れやすい
神話は何か物語性に気を引かれる感じがする 細かいとこは忘れたけど、
釈迦の説法に反論したやつに対して
「そんなことに時間は割けない」みたいな
逆ギレしたエピソード好き
それ聞いて弟子がなるほどみたいになってるのは笑った
レスバなら「逃げんなよwwww」ってなる場面やんと思ったんよね 神の武具 については聖書でところどころ出てきてる(´・ω・`)
たとえばヨブ記に神がヨブへの難題をかすところにもでてくる(´・ω・`) イエスの発言はかなり哲学的だよ あなたは今日わたしと一緒に楽園にいるとか
哲学的余地がある 哲学かはわからんが聖書は読み物としては一番読みやすくねえか? >>31
それが 旧約聖書 とか 新約聖書 まで複雑にみごとに記されてるのにはおどろく(´・ω・`) >>21
ヘブル人への手紙(口語訳) 第4章
12 というのは、神の言は生きていて、力があり、もろ刃のつるぎよりも鋭くて、精神と霊魂と、関節と骨髄とを切り離すまでに刺しとおして、心の思いと志とを見分けることができる。 >>36
ここにはあげてないけどまだいっぱい神の武具について記されてる箇所がある(´・ω・`) トマス・ホッブス の リバイアサン とか ベヒーモス もヨブ記から取られてると思う(´・ω・`) ヨブ記では ベヒモス について
これは神のわざの第一のものであって、これを造った者がこれにつるぎを授けた。
って書いてある(´・ω・`) あと創世記では エデンの園の東に回転する炎の剣とともにケルビムを置いたって書いてある(´・ω・`) 東洋人である日本人だと 荘子 の鯤 とか バハムート なんかの連想となぜかつながる(´・ω・`) このへんは壮大すぎて書き表すことができない・・・・(´・ω・`) 荘子の胡蝶の夢 なんかも 日本人からすれば 聖書のプシュケー や
息壌のはなしの鯀と禹 夏王朝 のはなしとつながって さらに創世記のへび と連想がつながる・・・・(´・ω・`) 史記 とか読んだあとに 聖書読んだときの驚きと再発見・・・・驚愕・・・((´・ω・`)) 聖書が別格だということはうまく表現できない・・・・(´・ω・`)
あるときはっとするような驚愕におそわれる瞬間がある(´・ω・`) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています