彡(^)(^)「生徒全員川に避難させたろ!」 → 教師10名 生徒74名 死亡



地震発生から50分間、大川小の校庭で何があったか。
遺族は言う。30分でも良いから早く三角地帯に向かってほしかった。潮流の異常ですぐにでも判断を変えて、3分もあれば山には登れただろう。
だが、避難行動は津波到着と同時刻だった。

50分間、教師と外部から来た区長の押し問答が続いた。
「山に避難させるのだ」と「津波など来ない。三角地帯で良い」と。
教師の中には、区長に賛同する者もいた。町から来た避難民も「足が悪いので山には登れない」と訴えるが、実質は区長の意見に賛同していただけであった。
この狭き空間で、権力者に徐々に皆の意向が傾いていく。
そうして、児童の命を守ることよりも、場の秩序を保つことが大人たちの優先課題となる。

雪の降る凍てつく寒さの中、児童は泣きながら避難指示を延々と待った。
山に逃げようと泣きながら懇願した生徒の意見は却下された。山に自発的に走った児童は教員によって連れ戻された。
ドラム缶で暖を取るためにマキをくべる教師がいた。教師は緊急避難よりも、校庭に長く留まることに注力していた。遺族は言う「そんなことする暇があるなら移動させろよ」と。

保護者が車で児童を迎えに来る。
すると教師が保護者に奇妙なことを言う。「ここにいた方が安全ですよ」
保護者は教師を信じ、児童と共に校庭にとどまる(後に死亡)
一応、送迎用のバスが校門前でずっと待機していた。走れる状況にありながら、活用されることはなかった。(後に運転手死亡)
別の保護者が40分後に児童を迎えに来た際、その光景に絶句した。「この人たちは雪の中40分も経っているのに、まだ座らせているのか?」(後に生存・本人談)

その間、ラジオからは繰り返し「大津波警報・決して河川に近づくな・高台に避難しろ」と流れ続けていた。
だが、その50分で教師が見出した結論は、区長の言う「津波は来ない。三角地帯へ避難すれば良い」という川へ向かう決断であった。誰もが「河川に近づくことは危険」と知っていたにもかかわらずである。
やかましい権力者に従えば自分へ矢は飛んでこない。その空気は形成される。

ここに、「児童全員の命」よりも「場の秩序」の優先を、教師たちが決定した瞬間である。

避難開始とほぼ同時刻に突如黒い大波が堤防を越してきた。逃げる間もなく74名が轟音と共に呑み込まれ法面に叩きつけられる。そこから大量の児童の遺体が発見されたからである。
最後尾を歩いていたわずか5名が踵を返し山まで走った。それでも間一髪で、体の半分以上は埋まったと言う。

なお、後の検証で、山の勾配は足の不自由な50代の男性でも登れることが判明。
しかし、50分間で誰一人、川の様子、裏山の様子を確認しに行った大人はいない。いずれも徒歩1分のところである。
遺族は言う。それさえ誰かがやっていれば、結果は変わっていただろう。50分間。何をしていたのか?