小説書く
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この坂の下り口の右側の塀に、「良寛和尚の墓標あり」と書いた木札がかかっていて、その下に墓があったのだが、今はないようだ。 私は子供の頃この坂を通るたびに、「先生の家も近くだな」と思って眺めていたことを思い出していた。 「人生とはなんぞや?」という問いは禅語にあるそうだが、私もこの年になっても、なかなかうまい答えを見つけ出すことができない。 ただ言えることは、私の子供時代には戦争があり、その後には高度成長期があるということだけだ。 そしてその間中私は何かに追われるように、あくせく走り回っていた。 自分の人生とは何かを考えようなどと思う暇もなかったのだ。 だから、私にもしゆとりができたとしたら、もう少し落ち着いて、人生の意味などについてゆっくり考えることができるかも知れないと思ったりする。 私が生まれてはじめて書いた本『夢幻泡影抄』は、一九六三年十月二十日に初版が出版されたが、これは私にとっては生涯忘れられない日でもある。 父の臨終に立ち会うことはできなかったけれど、母の話によれば意識不明の状態のまま苦しんだあげくに息を引き取ったらしいから、苦しみ抜いての死だったと思う。 父は、肺結核のために長い療養生活を送っていたためもあってか死に対して比較的安らいでおり、臨終のときでも取り乱すことはまったくなかったようである。 ただ枕頭に家族が集まっていることに安心したのか、「もうすぐお迎えが来るよ。みんな早く逃げて」というようなことを言ったりしたとか聞いたことがある。 それが本当のことなのか冗談のつもりなのかはわからなかったけれど、少なくとも死ぬことが怖くて嫌だとは思っていないように見えたのは確かである。 母や姉たちも父の死期が近付いていることを知っていたらしく、「そうか」としか言わず静かにしていたそうである。 父の言葉通り、やがて夜空がしらじらと明けはじめたころに医師たちがやってきたのを覚えている。 父の享年は五十八歳であったが、死因は明らかにはなっていない。 私にとっての父の人生観というのは次のようなものである。 「人は死んだらどうなるんだろうか? 死んだ後の世界のことだけれども……。 それはわからないねえ」「お前は何歳まで生きられるかねえ。まあ、長生を祈ってやるよ」「俺もお前と同じように病気をしたことがあるがね、そのとき思ったんだけどさあ、俺は運が悪いんじゃないかって……」こんな感じでいつも言っていたことばかり思い出されるのだ。 だからといって特に神を信じていたというわけではなかったと思う。 仏教についても詳しいことはなく、ましてやキリスト教徒だったということもないようだ。 宗教について聞かれると面倒臭いからあまり何もしゃべりたくはなかっただろう。 しかしそれでもキリスト教では「最後の審判の時が来たときに救われるのは善行を積んだ人だけである。 また天国にいる天使たちの上には神様だけがいらっしゃる。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています