人間は「自分が善人じゃないと死んじゃう病(自分を悪人と認めたら死んじゃう病)」にかかってるとは思わないか?
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悪人を仕立て上げようとする日本人の魂が悪い、これが当たり前 おめーがよけーなことしなきゃ災害なんて起きずに済むんだよ
まったく、これだから悪人を仕立て上げようとする魂どもは >>8
そのとおりだで
でも日本じゃ、いや日本に限らずそういう悪い魂ばっかやで
関わりたくないのが正直なところ まーただ先進国では仕方ないのかな、
悪人なんて言ったら自分が不利益を被るだけだから。
誰も自ら不利益を被りたくないだろ
だから善人ぶるのは当然。
その点、途上国なんか逆に潔いと思っちゃうよ
ミャンマーなんてあれまるっきり悪じゃん。
選挙で決まる民主主義じゃあんなことできないよw 別に死刑反対とかではないけど
欧米では自分も悪人だから悪人にも人権や救いが必要と考える人が多いのに対し
日本人は悪人は抹消せよ!って考えに至る人間が多く、しかもその悪人に自分は含まないような態度の人間が多いようには思う 悪人は袋叩きにしていいって考えてる悪人が多数派だから 先進国で許されるのはせいぜい、人間はみな産まれながらに
罪深い存在である、程度が限界かなぁ
これだと仏教に近い考え方なんだけどね 人に認められ求められて幸せを感じる仕様の精神だからね
自分が「利他であろう」としたらしたで
度が過ぎれば他人から利己であるように思われ疎まれるし(海外で実証済み)
それを恐れての尻込みを「自分を悪人と認めたくない」といえばその通りだね
多かれ少なかれ承認欲求の塊
他人の目があってこその自分 自分が善人だと本気で思ってるやつは悪人だよ
善悪なんて自分で決めることじゃない
そんな当たり前のことすら理解できないやつがどれ程周囲の人間に迷惑をかけるか すくなくとも悪霊に利用されてvipでほのめかしなんざやってるやつは悪人そのものだね
悪い霊に操られてるんだもん 本当の善行なんて人間には不可能よ
親切してキレられたら不満に思う心が生じる
他人のためと言いながら、感謝されなきゃムッとなる
よく見られたい、感謝されたい、良いことしていると思いたい、という欲が常に付きまとう
全く見返りを求めない善となると、自分のために必死こいたことが知らん間に他人のためになっていたこと、ただそれだけ
それを自覚してやった時点で偽善だし、もし自覚したとしても自分が一所懸命頑張ったのに他人が得をする結果になった時にそれを喜ぶ心が芽生えなきゃ善ではない
出し抜かれて嘲笑嘲笑れて自分は損してそいつが得をして喜ぶなんて普通無理だ
そんなのが出来るのは菩薩だけ 誰かにとっての善が違う誰かのとっては悪だなんてよくある話だ 大多数の人がやると凄く困ることは
やっちゃだめ!
って何百年前かの哲学者が言ってたぞ
だから善人であろうとすれば超善人でなくとも良い >>25
そんな奴ですらあいつよりはマシだとか思ってる
そして悪人の癖に自分が悪い目に遭った時に他人のせいにする
開き直っているやつ程自分のせいだとは微塵も思っていない
良いことやっている(つもりの)奴は勿論自分を悪人だとは思わない
人間が自分を悪人だと真に認めることは限りなく難しいこと 自分がした善行に対しては「自分は善人だ」と言い聞かせ、逆に、自分がした悪行に対しては言い訳つけて正当化するってことか? 混んでる電車に座ってるときに座れなかった誰かのことは考えもしないけど
目の前に立ってる妊婦がいたら譲るか譲らないかの選択肢が可視化される
後者の場合に譲ったときだけ善人判定なんてちゃんちゃらおかしいよね >>27
悪いことをした自覚はあったとしても
何か悪いことがあった時に自分のせいだとは思えないっつーことだ
俺が私が悪い目に遭う筋合いはない
そこに因果だとか報いだとかを抜きにしても、頭に浮かぶのは常に言い訳、罵倒、何で自分がこんな目に
悪人だと真に自覚するってのは単に悪いことしているのを認めるってだけの話ではない 幸い我々は法治国家に住んでいて日本国の法律が公布されてるんだからありがたいことだよな
それだけをもってして善悪を図ればいいしそれに反する愚かな人間を相手にする必要に迫られない 悪人かそうでないかを区別し、悪人には何をしてもいいと思ってるのが
人間の自分は悪人ではないと言う驕りである もし我々が法のない原野で暮らしていたら馬鹿の心の中にある世界が本当になってしまうこともたまにありえるのだからな 綺麗に生きることに囚われ過ぎてるよな
誰かの決めた青春とか理想の人生に振り回されて無理矢理順応しようとしたり逸れたことで卑下することがおかしい 悪人にも人権がある、と言うとすぐに否定しにかかる
時には相手を罵倒しにかかるのも自分は悪人ではないと言う驕りであろう 今こそ仏教が必要なのかもな
自分の考えっていうより何かに染められて傾いた考えの中で生きてる感が強い そんなヤツいるのか?って思ったけどTwitterで見たわ 法と善悪が等しいものだろうか?
大きな事件が起こった後で問題が認知され法改正というのをずっと繰り返し続けている
ならば正しさが先にあり法律はそれの後追いということではないか 善とか悪とか人が決めてる限り絶対の基準なんてないし観測条件が違えば善にでも悪にでもなるよなあ そういう奴は少数派な気もする
反社とかヤンキーとか、そういうのって自発的になるものだし
そしていつの時代もそういう悪人は絶対にいるし >>38
仏の救いは世に必要だからあるのではなく
お前が必要とした時にそこにあるというもの
必要としなけりゃそんな物存在しないし、必要とした時には既にそこにある 負け組の人たちはだいたいそうだよね
普段から自分は間違ってないと思ってるから学習しないわけだから
貧乏人は性格悪い理由 >>41
少なくとも個人の主観が法より真実の正義に近いということはあり得ない >>47
近代社会においては人々が作るものであって人が作るものではない 法律は善人だと思ってる悪人達の考えの最大公約数だよ 人間は歴史的に見れば
悪人とみなした者に集団で石を投げて殺害するような生き物なので
悪人になりたくないって言うのは生きるために必要な自己防衛的な側面もあるのよね 本当に自分が善人でないと死んでしまうとまで思いつめるまで真摯に潔白さにこだわっているのならもっと裁判起こすよね
みんなどうでもいいと思っているから裁判まで持ってかないんでしょ? 社会を成り立たせるために
個人に求められるものがあるってことか いい人ぶってると嫌われるってのもあるから
善人も悪人も極端ならマイナスになるから、そうならないようにしようって皆思ってるんじゃないか てか宗教ってなんで人間は悪だって決めつけたがるんだろ
宗教作った人間が他人を統制するためとしか思えんのだけど そもそも宗教ってのは価値観や哲学を共有するために広めるんだから
他人を統制したいって気持ちは当然含まれてるだろうな 統制は言いすぎだけど、こちら側の色に染めたいって気持ちが宗教を広めさせるんだから >>57
順番が逆
宗教が人間を悪だと決めつけてるのではなく
そうしなかった宗教は信者の獲得競争に負けて生き残れなかったと見るべき >>59
人の動機なんて分からないことを決めつけて語れば実に簡単だ >>50
でも残念ながらその考えもお前が言った"人々"に含まれちゃうんだよなぁこれが >>53
動物はそこまで知能ないから。
相手を食べるためとかナワバリ争いとかで殺し合うけど
あいつはやってはいけない○○の罪を犯したらしいからとかではない。
まぁ動物も知能持ったらやるんだろうね。
人間を含む生き物の習性かもしれないね。 >>62
そうでなければ法の意味がないんじゃないか? >>60
はえーなるほど
そうしなかった宗教って調べたら出てくる? 基本的に自分は正常だという発想から抜けられないのが人間だからな
自分を悪人だと思ってる奴も自分を悪人と決めつける自分の判断が間違ってるとは思ってない
自分の正しさを疑ってる奴もあくまで疑うこと自体は正しいと思ってる 人間と違って動物は言葉で嘘をつけないから
人間は嘘つきの隣人から身を守るために、猜疑心が育ったって読んだ
そして猜疑心があるからこそ、自分のことを疑われないために「いい人」であろうとするって >>66
お前が無知な馬鹿だってことはよくわかったよ >>57
自分が善人だと思っている奴は善行が出来るんだから救いなんて要らないだろ?
善人は救いを必要としないし宗教は生まれない
というより完全な善人がもしいるとすれば、そいつの宗教が生まれる
何故ならそいつを必要とする人間が出てくるからだ
結果的にどう足掻こうと宗教は生まれる 7つの大罪
傲慢
強欲
嫉妬
憤怒
色欲
暴食
怠惰 >>65
ネイティブアメリカンとかアボリジニの信仰とか
シャーマニズムなら人間も自然の一部って見るでしょう >>70
宗教が生まれる前に善悪の価値観があるのはおかしくない? 人間(日本人)
日本人は都合の悪いことをすぐに逆に言い換えたりり他のやつも同じという 確かスレタイにあるようなのは戦後の日本人の価値観?
まあうろ覚えだけど、そもそも時代によってこうであるべしっていう理想の人物像っていうのも変わっているとか
今の日本人が理想とするような人物像のベースは戦後以降だとか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています