お前らって反知性主義なの?
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結局一部の天才クラスでないと頭脳労働もただの歯車みたいなモンで崇めてもムダだと気付いたのさ フォンデアライエンのロシアは洗濯機から半導体取ってるなんて発言を鵜呑みにしちゃうような頭の悪い日本の自称知識人が嫌いなだけ 反知性主義(anti-intellectualism 反主知主義)は、知性に対し意志や感情を優位に置く主張であると『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』は解説している。一方で知性主義(intellectualism 主知主義)は、意志や感情よりも知性を重視する。前掲の『ブリタニカ』によると、反知性主義は19世紀末のニーチェやH.ベルクソンの哲学として現れ、V.パレートやG.ソレルに継承されていき、結束主義〔ファシズム〕運動へ繋がったとされている。
政治史家のリチャード・ホフスタッター、および神学者かつ牧師の森本あんりによると反知性主義とは、知的権威やエリート主義に対して懐疑的な立場をとる主義・思想である。この言葉の登場時期について、語源辞典は1904年と掲載している一方、ホフスタッターは1950年代のアメリカ合衆国で登場したと述べており、後にホフスタッターが1963年に『アメリカの反知性主義(英語版)』で示したものが知られていると森本は言う。
森本によれば、一般には「データやエビデンスよりも肉体感覚やプリミティブな感情を基準に物事を判断すること(人)」を指す言葉として思われているが、実際にはもっと多義的な観点を含む。また、その言葉のイメージから、単なる衆愚批判における文脈上の用語と取られることも多いが、必ずしもネガティブな言葉ではなく、ホフスタッターは真っ当な民主主義における「必要な要素としての一面」も論じている。むしろ、知的権威・エリート側の問題を考えるために、反知性主義に立脚した視点も重要だとも説く。知性と権力が結びつくことへの、大衆の反感が反知性主義の原動力にあり、反知性主義が否定するのは「知性」自体ではなく「知性主義」つまり「反・知性」の主義思想ではなく「反・知性主義」の主義思想なのである、と森本は述べている。
政治学者の吉田徹によると、ホフスタッターの本来の「反知性主義」は知性がないことを馬鹿にする言葉ではなく、リベラルの欺瞞に対してノーを突き付ける対抗権力であることを意味しているという。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています