霊元天皇(1654~1732)についてお前らどう思う?
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10歳で即位し、成長するにつれて若き霊元天皇が朝廷運営を主導していく
しかし、強引な政権運営の上、近習の若い公家達と乱痴気騒ぎ・乱行を繰り返し、関白・近衛基熙とも対立を深め、江戸幕府も敵対視し、幕府からは強く警戒される
院政を開始するが、幕府から強い警告を受け、ついに院政を停められる
その後、公武の協調関係が深まり、宝永六年、息子の東山天皇が35歳で急死したのを受け、幕府から要請を受け、院政を再開する
2期目の院政は(少なくとも表面上は)幕府や関白とも融和的な関係性を保った
享保十七年、崩御 79歳 霊元天皇といえば、下御霊神社に納めた願文が有名であるという
最晩年の享保十七年に納めたものと見られ、そこには「邪臣」「悪臣」と関白・近衛家久を指したと見られる文言があり、79歳になっても霊元法皇が近衛の連中に対して内心強い憎悪を抱いていたことが伺える >>10
まだ崩御してから300年も経ってないから何とも…
明治以降は元号が天皇の名前になってるし お前が考えたかっこいい名前の天皇かと思ったら実在していたのか >>13
300年前に確かに実在してた天皇だよ
幕末の孝明天皇を除くと、後水尾院・霊元院・光格天皇は大きな影響を与えた江戸時代の三大天皇と言えるだろう ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています