>>386
>今谷明は、信長は正親町天皇に再三にわたって譲位をうながしていたが天皇は譲位に応じず、業を煮やした信長が天正9年の2月から3月にかけて二度、馬揃えを行なって天皇を軍事的に威圧したが、それでも天皇は譲位しなかったとする[2]。

しかし、中世には天皇は早期に譲位して皇子の即位を見届け、その後は院政を布くことが常態であった。衰退した室町幕府が新天皇の即位に必要な一連の儀式の費用、また譲位後の上皇の住居や警備にかかる費用を負担できず、正親町天皇の曾祖父後土御門天皇・祖父後柏原天皇・父後奈良天皇と3代続けて譲位したくてもできなかったとことを天皇が遺憾に思っており、信長の財政支援による譲位を悲願として歓迎する気持ちが天皇の書簡からもうかがえることから、今谷説は否定されつつある。