31年間継続的に虐待、監禁、軟禁されていたACの私が勇気をもって逃げるスレ
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初めて立ち上げるので不備があるかもしれませんがご理解願います
まとめスレ化、拡散等は好きにしていただいて構いません
私は31年間両親から洗脳を受けておりました
私の31年にも及ぶ半生、過去に何があったか、何故この様な事が起きたのか脱出に至る経緯、今後どうしていきたいか等を赤裸々に綴っていきます
長編になりますが事件性の高い内容ですので一つの短編小説感覚で読んで頂けますと幸いです まずは軽く自己紹介から
末吉樹 31歳
平成5年5月4日産まれ
私は千葉県松戸市にて
末吉隆二と末吉加奈子の手によって産まれました 家族仲、家庭環境は最悪
私の両親はいわゆる毒親だったのです。
「我が家は偽装結婚だ!私は望んで結婚したわけではない」
「この家は仮面家族だ!この家に家庭なんて物は無い!」
これが母親である加奈子の口癖でした まとめにもならないし拡散もされねえよ
自分語りがしたいならSNSかtiktokでやれ 流星のように浴びせられる精神的虐待の数々
「お前の父親は犯罪者の家系だ」
「お前には犯罪者の血が流れている」
父親の人格否定は私の心に刺さり続け、二人しか居ない狭い空間は誰の助けも、救いの手もありませんでした 「アイツは私に母親を求めている、早く離婚したい。私はあいつの母親では無い」
自己の正当化
「早く離婚したい、お前のような犯罪者の血を抱えたくは無い」
私の人格批判
「父親の言うことを聴くな、私の言うことだけ聞いていろ!」
己のうっ憤をぶつける毎日、私は加奈子のマリオネットでした。 「あぁ…またいつもの奴だ」
私の心に植え付けられた精神的虐待という悩みの種
「私と違ってお前には犯罪者の血が流れているんだぞ!!」
根付いた種は私の心をむしばみ続け、加奈子からあびせられる言葉の暴力を受け続け
少しずつ壊れ、耐え、我慢し、幼少期ながら狂わせていきました 「私が全て一人で子育てをしているんだ"アイツもお前も何もしていない!私がお前の問題事をすべて片してやっているんだ」
私が全て正しい、お前は全て間違っている、加奈子に対話と理解を求めても無駄。
私は黙って漆黒の夜空を眺めながら、流れ星一つとしてないこの空を眺めながら
救いを待ち続ける他、ありませんでした。 そんな私は幼少期のころから問題児とされていました。
加奈子に洗脳され、父親は無関心
加奈子が意図的に互いの親族から遠ざけることにより、味方を、助けを求めさせる状況を作らせなかったのです
「しんどいな、どうして解って貰えないんだろう」
頼れる人を創る、助けを求めると言った行為を樹は取る事が出来ない、幼少期から行われていた洗脳教育は加奈子以外味方が居ないと思わせるものだったのです 「なんで…私はこんなにも苦しんでいるのに!」
心が壊れ人に助けを求められない樹、そんな子供の器に溜め込める量などたかが知れています
そんな時、爆発し外で問題が起きた時、片付けるのはいつも加奈子でした 「うちの子が申し訳ありませんでした!ほら、お前も頭を下げなさい!!」
「ごめんなさい」
樹のために頭を下げる加奈子、この構図は 子供の問題事を片付ける立派な親。
そう見せつけるのに充分でした。
「お母さんは偉いわね、お父さんは何をしているのかしら」
周囲から賛美の声を浴びる要領の良い加奈子
「樹君も良いお母さんを持ったわね」
無自覚の槍で私を指してくる周囲
虐待を行い賛美の声を浴びる、異質でしかないその空間が、私にとっての普通だったのです 「お前は問題児だ、私だからお前の問題事を片してやったんだ」
「周りの先生方もお母さんは偉いね、良くやってると言ってるぞ」
「お前の父親は何もしていない、ろくでもない犯罪者の家系なんだから言うことを聴くな」
要領の良い加奈子は賛美の声を浴び虐待、洗脳に励み
要領の悪い私は悩みの種を植え付けられる
「私一人で両方の親をしているんだ!」
「私の言うことだけ聞いていろ!解ったか!!」
要領の悪い私は、一人で溜め込み、助けも求められず、問題児のレッテルを張られる
洗脳され、溜め込み爆発することしか知らない化け物は人に助けてと
救いの手を差し伸べる事が出来ない体へと「躾」られていったのです ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています