花園天皇(1297~1348)についてどう思う?
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後醍醐天皇(1288~1339)と同時代の天皇
後醍醐天皇と同じく一代限りの中継ぎの天皇であったが、自分の皇統の保持を目的に倒幕を実行した後醍醐天皇とは対照的で、自分の跡を継ぐ事になっていた甥への教育に力を尽くした
学問に通じ、自筆の日記がまとまって伝来しており、後醍醐天皇など鎌倉時代末期の政治的動向を探るには欠かせない史料となっている
画像は暦応元年(1338)、42歳の時の花園法皇を描いたもの
https://i.imgur.com/ksp2hVx.jpeg >>2
花園法皇お抱えの絵師が本人の特徴を捉えて描いた似絵だから、多分実際にこんな顔してたと思われる >>3
同時代の後醍醐天皇の存在のインパクトがでかすぎた
花園天皇の方が後醍醐天皇より9歳下だけど、文保の和談を経て(鎌倉幕府を交えた皇位を巡る交渉)、花園天皇の次に後醍醐天皇が即位した ジョン王みたいに止め名にならず後花園天皇がいるくらいなんだから名君なんじゃね >>10
学問と教養に通じた賢主とされているからな
教育を授けた甥の光厳天皇からは尊敬されていて、光厳天皇は花園天皇の皇子に皇位を継がせようとしたくらい
ただ、本当に一代限りの天皇で、同じ皇統(持明院統)の中でも父の伏見院・兄の後伏見院が院政を行っていたので、政治的な実権を持てたことはなかった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています