「大リーグで親父を探す」

 牛島の助けを借りて、伊良部は覚醒した。'94年シーズンに15勝10敗、最多勝と最多奪三振のタイトルを獲得。'95年、'96年はそれぞれ11勝、12勝を挙げて、2年連続最優秀防御率を獲得。日本を代表する投手となった。そして'97年シーズン、念願のニューヨーク・ヤンキース入りを果たす。このとき、ヤンキースは黄金時代を迎えようとしていた。特に、'98年シーズンのヤンキースは圧倒的な強さを見せつけた。2位のボストン・レッドソックスに22ゲームもの大差をつけ、114勝48敗というアメリカン・リーグ記録となる勝率で優勝したのだ。

 〈伊良部はアメリカの軍人だった実の父親と生き別れになっている〉そんな新聞記事がアメリカで掲載されて以降、何人か「自分が伊良部の父親である」という男が名乗り出てきていた。

そして'99年春—フロリダ州タンパで行われていた春季キャンプにも、父親を名乗る人物から手紙が届けられた。球団職員から手渡された手紙を一読すると、伊良部は、何かが爆発したような、はっとした顔になった。差し出し人は〈スティーブ・トンプソン〉。母親から実の父親だと教えられていた名前だった。伊良部はすぐに日本の母親に電話して、手紙の内容を確かめ、トンプソンと会うことにした。

 息子・秀輝との再会がかなったのは、'99年春のことだった。

しかし、伊良部と会ってみると話は全くはずまなかった。伊良部の顔は強ばり、目は泳いでいた。トンプソンをまともに見ることもできなかった。伊良部は何を話していいのか分からないようだった。伊良部は突然、トンプソンにたずねたことがあった。

「ここまで来るのにどれくらいおカネがかかったんですか?飛行機代とかレンタカー代とか、かかってますよね」

「おカネは必要ない。私はそんなつもりで来たんじゃない」
「君を見捨てたことは悪かったと思っている。すまない」

伊良部は「分かりました」と答えた。

「しかし、どうしてしばらく連絡が途切れてしまったのかを説明できなかった。自分の頭がさまざまなことを受け付けなくなったこと、ベトナム戦争によるPTSDに苦しんでいるんだ、とね」

実の父親と会ったことは、伊良部の心に強い影響を与えていた。トンプソンがタンパを去った後、伊良部の目から力が失われ、ぼんやりすることが多くなった。集中力の欠如はプレーに影響した。そして「事件」が起こる—。