1973年の『平凡パンチ』に掲載され、同誌が150万部近い爆発的な売り上げとなった麻田奈美の「林檎写真」。身長153センチと小柄にもかかわらず、長い脚と豊かな胸を躍動させたグラビアはたびたび同誌に掲載され、青春時代の1ページとして記憶に留めている人も多いはずだ。日本のグラビア史にも残る伝説の写真で麻田奈美ブームは盛り上がるも、麻田さんは1978年に芸能界を引退。長年表舞台に出ることはなかったが、65歳の時に再びカメラの前に立つことに──わずか6年間のモデル活動とその後の人生を、本人が約半世紀ぶりの“顔出し”で振り返る。

 麻田奈美さんが生まれて初めてプロのカメラの前に立ったのは、1972年9月、高校を卒業したばかりの18歳の時だった。麻田さんの内気な性格を心配した母親が、「きれいな写真を撮ってもらったら自分に自信が持てるようになるから」と、ツテをたどって写真家・青柳陽一さんの事務所に連れていったという。麻田さんが語る。

「昔から母は私の体型を見て『モデルが向いているかもしれない』なんて言っていました。初対面の青柳さんは一見強面でしたが、『八重歯がかわいいね』などと褒めてくれて、緊張がほぐれたのを覚えています」

 対する青柳さんの第一印象は「隣のお嬢さん」。どこにでもいる化粧気のない18歳の女性だった。しかし、フィルム数本分を撮っていくうちに、「これはすごいと唸るほどの逸材」と確信し、「この原石を、ライティングの光線で磨き上げたい」と考えたという。

 青柳さんから麻田さんの話を聞いた平凡パンチの編集長は1973年1月発売号用の撮影を依頼し、下田や伊豆大島、新島、式根島などでロケを敢行。そして1972年の12月24日、たまたまスタジオ内にあった林檎で下半身を隠すというアイデアから、のちに多くの人が目にすることになる「林檎写真」が生まれた。

 年が明けて1973年1月29日発売の平凡パンチに麻田奈美は初登場し、同誌は100万部を突破。「林檎写真」は3月12日発売号に掲載され、150万部に迫る大ヒットとなった。当時の若者たちは突然現われた“青春の女神”に衝撃を受け、ポスターを部屋に飾って楽しむ人が続出した。

NEWSポストセブン
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