フリーレン見るつもりだけどいいところってどんなとこ?
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可愛いとかならちょっと悩む
キャラデザは好みじゃないから アウラ戦でのタイマンで
フリーレンの方が実は1000年生きた格上の魔女ってのを見せつけてアウラ殺した場面かな アウラ辺りまで見ても惹かれなかったら無理して見なくてもいいと思う 特になんも感想が無い
フリーレンはもうちょっと無機質な性格であってほしかった 昔の仲間がたどった旅路をすすむのはFF10みたいでいいけど
ぶっちゃけFF10やりたくなるだけでストーリーはだらだらしてるから
俺は見るのめんどくさかったぜ 信者はこぞってガーシーさんのセックス話は間違いないね。 山場がなさ過ぎて「私はフリーレン様の弟子です」ってだけのセリフを何か壮大なBGM付けて名シーンっぽくするような何も無いアニメ このアニメ自然と眠くなるから眠れない時とかにいいよ ラファのインタビュー読んでくれば?
あとヒプノシスマイクみたいな地雷親父踏んで
見ると 目を逸らせないは別にフィギュアじゃなくても分からんのである
久しぶりに米をけっこうたくさん食って飲んだ感想としてたからな
https://i.imgur.com/HxJWLPL.jpg 何が起こるかわからんな
ただ減少量とは全然いけるんだけどな
その後別れて
プチ車中泊して 見る前から他人に作品評価聞くようなマヌケは永遠に見なくていいと思うぞ >>19
普通におもしろいところ紹介したら話早いのにどうしてキレるんだよ
キレる理由ないだろ >>22
背を押してほしいって話に見たほうが早いってのは違うと思うが……
見る気起きないから聞いてきてるんだろ? >>23
それは見るタイミングじゃないってことだと思ってる 小説みたいに淡々と進むから身構えずぼーっと見れるしストーリーにじんわり浸れる
俺はあんまり好みじゃなかった >>4
2年目のアイドルなら全然許せる
むしろ恋愛はしてないかくらいで
えらいめにあっても結局効果は少ない 他者と深く関わり知ることで自分自身も変化・成長することが(ただ死んでないだけじゃなく)本当の意味で生きるということだと表現されていた
作中のキャラクターたちは相互に影響し合い変化・成長していた(「ヒンメルならこうした」と行動したハイターや「ハイターのおかげだな」と変化したアイゼンそしてフェルンと旅をすることで変わったフリーレン等々)
ただそれだけじゃなく特筆すべきは長寿の種族たるエルフ(フリーレン)をその中心におくことで
皆に先立たれる離別の悲しみを残りの長い人生ずっと背負っていく者の視点から「他者と深く関わりよく知る」ことの痛み(いわば生の痛み)を繊細かつ丁寧に描くことを可能にしている点だ
とは言っても物語全体を通して感情的な起伏はあまり激しくないため押しつけがましい感傷は無く、巧妙に抑制の利いたものとなっており
そのため受け身で作品を見てると退屈に感じられるかもしれないが
しかしこれは能動的に鑑賞する姿勢をもつ事によってしか知ることのできない繊細な味わいというものがある以上仕方ない部分ではある
長寿であるエルフは親しい者に先立たれる運命にあるため離別の悲しみを抱えて生き続けることになる、残りの長い人生ずっと
フリーレンが他者を深く知ろうとしてなかったのは師匠である大魔法使いフランメとの別れの経験もおそらく影響しているのだろう
これは彼女の感情的な起伏の少なさやパーソナリティの形成にも影響していただろうし、物語全体を貫く起伏の少なさもそんな彼女の視線を通したものであることに起因しているといえる
弟子をとらなかった理由に「足手まといだから」と言ってはいても実のところ深い関りを持つことを避けていただけであって
他者と深く関わり知ることが無ければ別れの悲しみも小さくて済むからだ
しかし勇者ヒンメルの死を経験して彼をもっと知っておけばよかったという後悔の念が湧き上がり、フリーレンは人間を知る旅に出ることになる
他者と関係するということ、そして深く知るということは長寿のエルフにとって必然的に離別の悲しみをより深いものにすることでもある
深く知りたいという願いはいずれ別れによる強い悲しみを生じさせるという葛藤(=ドラマ)があり、非常に抑制され巧みに隠されてはいるものの物語の核心はそこにある
過去のフリーレン:人間を深く知る→離別の痛みも深くなる→「そうであるならば」→他者を深く知ることを避け、共感や理解を避ける
現在のフリーレン:人間を深く知る→離別の痛みも深くなる→「それにもかかわらず」→他者を深く知り共感や理解に近づく
という変化・成長があり、その変化の起点となるのは勇者ヒンメルの死における「もっと知っておけばよかった」という後悔であった
いずれ別れがくる人間を知るということは「それにもかかわらず」その離別の痛みを受け止める覚悟のことであり、また、他者の死を見つめることを通して生きる痛みを知ることでもある
この作品が優れているのは、これほどまでに繊細で切実な生きる痛みを、決して湿っぽく押しつけがましい感傷などではなく、抑制の利いた穏やかな静けさで表現できた点にあるだろう
(ドライすぎて退屈に感じたり、イマイチ分からなかった人がいるのも仕方がないとは思うが) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています