コピペ

目の前に広がる内湾の江戸湾は利根川水系の大河が運ぶ土砂で大小の洲が発達し、多くの魚介類を育み、沿岸部には水運用の掘割(ほりわり)や人工の水路網が発達して、釣りには申し分のない環境でした。

さらに、江戸には暇な侍が多くいました。幕府も各藩も、戦国時代の軍事体制をそのまま平和な時代に移行させたので、余剰人員が出たのです。江戸中期には旗本、御家人の約4割が、城の改修工事くらいしか仕事のない小普請組(こぶしんぐみ)や寄合組(よりあいぐみ)に属していました。時間に余裕があって目の前が絶好の環境となれば、武士の間で釣りが盛んになったのも不思議ではありません。

江戸時代に釣りが発達したもう一つの重要な理由は、魚に警戒心を抱かせない半透明な釣り糸「テグス」の普及です。テグスの原料は中国に生息するテグスサンという蛾の幼虫。体内の絹糸腺(けんしせん)を抜き出し、酢に~