1917年(大正6年)から1926年(大正15年)にかけて日本車輌製造本店・支店(天野工場)等の民間工場および鉄道院工場で製造された、15 t 積み二軸無蓋車で、製造数は6,993両(ト24000 - ト30992)である。1928年(昭和3年)の称号規程改正により、構造が少し違う初期の物(ト24000 - ト29189)と改良型(ト29190 - ト30497・ト34000 - ト34469)を分け、トム5000形およびトム16000形(トム16000 - トム17773[1])に改称された[2]。

車体寸法は、一応前級ト21600形(後のトム1形)と同様だが設計にメートル法を採用したため、荷台の内寸は長さ6,930 mm、幅2,200 mm、側板の高さ1,000 mm、妻板の高さ1,280 mmであり、床面積は15.2 m2、容積は35.0m3(ト21600=トム1形は長さ6,928 mm×幅2,184 mm×側面高さ1,016 mm、床面積15.1m2)でわずかに違いが生じたが、荷重などはすべて同一で運用上の違いはない。側板の構造もト21600形と同様で、車体中央部に幅1,628mmの観音開き式の鋼製扉を設け、その両側は木製5枚側のうち下部の3枚分をあおり戸とし、上部の2枚分は固定式としたものである。俗に「観音トム」と呼ばれるグループの一つで、床面も木製である。ト21600形との最大の相違点は、車軸がト21600形では短軸であるのに対し、本形式では長軸とされている点である[3]。

1924年(大正13年)度以降の製造車は、あおり戸上部の固定側板が取り外し可能となっており、1928年の改番時にトム16000形としてトム5000形となった前期製造車と区別された[4]。また、製造当初の連結器は、ねじ式でバッファを備えていたが、1925年(大正14年)に実施された自動連結器への一斉交換に対応するため、その前後(1926年前期製のト29917(トム16723)までとそれ以降)で台枠の構造が大きく異なっており、ねじ式連結器およびバッファに対応した台枠は側梁が太いが、後期形の自動連結器に対応した台枠は側梁に代わって中梁を強化し、無蓋車では初めて中梁の方が太くなった[4]。

その他の主要諸元は、全長7,830 mm、全幅2,452 mm、自重7.6 t - 7.9 tである。下回りは軸距3,962 mm/3,900 mm(1926年中期以降製造車[5])で、軸ばね受けはベースとなったトム1形と共に当初はリンク式で製造されていたが、リンク装置の担いバネの両端の目玉部分に損傷が頻発したため旧式のシュー式に戻された[6]、最高運転速度は65 km/hである。