江戸時代に生まれた幕府公認の遊郭、吉原。独自のルールを破った客には、容赦ない私刑が待っていたのです。最も嫌われたのは、馴染みの遊女から別の遊女へと心変わりすることで、「浮気」は御法度でした。

客としては秘密裏に別の遊女の元へ行ったつもりでも、遊女同士の結束から、すぐにバレてしまうのです。浮気した遊女とめくるめく一夜を共にして、意気揚々と帰ろうとしたところ、大門で新造(しんぞう)から禿(はげ)まで動員して「待ち伏せ」をされ、妓楼へ連行されます。

裏切られた遊女からのお仕置きは、大勢の前での公開処刑。捕らえられた客は、全裸にされてさらし者にされたり、女の着物を着せられる辱めを受けます。おまけに顔に墨を塗られたり、髷を切られたり。大勢の遊女に集団でツバを吐きかけられたり、顔などを踏まれる屈辱を受けることもあったようです。吉原では遊女ファースト。疑似恋愛の場とはいえ、不実な男は廓の秩序を乱すため、このような制裁を受けました。