「クレジットカード」を題材に小説を書いてみた
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「クレジットカード」
いらっしゃい。いらっしゃい。ここはクレジットカード屋さんだよ。
え?店員が一人も居ないだって?居るじゃないか。ここに。
え?クレジットカードがないだって?或るじゃないか。ここに
え?店がないだって?在るじゃないか。ここに。
なになに、店員が居なきゃクレジットカードを買えないって?
いいかい。何かを売るにしても、買うにしても、それは目に映るものじゃなくてもいいんだ。聞こえなくたっていいんだよ。透明に価値を乗せるのが禁じられているわけじゃない。「想いが必ず形で現せ」だなんて、誰が決めたのだろう?そんなことは、馬鹿げている。
ある所に、前方の「見えない」を見得る"不透"の詩を詠んだ人が居る。
彼は言った。「限りなく透明で且つ素晴らしい経験を体現するとしたら、その価値は、居場所は。存在意義は。誰もが見ない物事に理屈を附けて誰かに売り出そうなんて烏滸がましい事他ならないよ。」と。その言葉は想いとして世に広がり、マーチャンダイズの一連となってしまった。
カードだって同じだ。使うのには「資格」がいるだとか、「教訓」を売りにつけろだとか、元の存在意義を忘れて了ったみたいに空を切る。いつしかその語は姿を現さなくなった。それに誰も気づかない。今の今まで、忘れているみたいだ。
さあここはもう店仕舞いだよ。もう終わり。不透に魅入られれたのが運の尽きだったみたいだ。でも、いずれは忘れ去られるのが世の自然だからね。あまり悲しんではいないよ。
さて、次の当てはあるのかい?ここら一帯はもうすぐ仕舞いだから、出来ることなら早くこの街を出た方がいい。
…なぜそんなに私のことを心配するのかって?それはね、初めから君の眼は「見えない」からだよ。 VIPPERは文字の羅列は見てられないんだよ; ; >>12
これを頭が良いと思って書いてそうな文章に見えてるのが驚きだよ 小説書く人間の性質は「小説家の先生になりたい」か「自分の中にある物語を吐き出したい」のどちらかなんだよ
小説家の先生になりたい奴は物語を書くよりも文章表現に目を囚われがちになる
どれだけ文章を飾るかを優先してしまう
その結果、物語が読みにくくなる
>>1は典型的にそのパターン 「想いは必ず形で表せ」なんて馬鹿げてる、の部分はなんか好き
でも全体的に回りくどいというか迷子になってる感ある 題材を他者に決めてもらった場合でも普段自分の中に貯めてた物語を流用する事は可能なんだよ
例えば後味の悪い物語が好きな作者はそういう物語を作る下地が出来ている
必然的に「こんな感じの物語にしたい」って方向性は簡単に出来るはずなんだよ
けど小説家の先生なりたい奴にはこれが無い
無いんだよ >>20
タメになるな
>>21
感想の中でいちばん嬉しい >>20
わかるなあ……
「小説家の先生になりたい」ってのは言い換えると自分をよく見せたいって傾向だよな
自分はかっこいい文章を書ける奴なんだと周りに認めてもらいたいみたいな 「文章表現に目を囚われがち」これが一番当たってる
むしろこれしかない
1行先の物語も展開も決まってないで赴くままに書くとこうなる 何も伝わってこない
意味の分からない説教をされて説教した方はそれで満足してる感じ マイナスなことを言ったけど全然ダメかって言うとそんなこともなくて、
なんだかんだまとまりかかってる、もうちょい!感が強くある 次もスレを立てろ
脳内の未完成な物語を言語化し続けていけ オタクはもしかしたらこういう冗長で空回ってる文章好きなのかもしれないが
一般的な感覚では「時間損したな」って思う文章
どういう読者層求めてるかによるんじゃね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています