言葉を読んで人間を理解できるってえか!人間何ぞは「こう考えて、こういう理屈で、生きている」だの、科学なんぞ、あるもんか。今、八つ当たりが、したいのだ。
そこらの草根を蹴っ飛ばし、ついつい、動物まで蹴り飛ばしてしまって、ああ、これは、流石に駄目だ。やらかした。ああ、ああ、なぞと、狼狽える。誰にって?良心にさ。じゃあ、最初からやるなって?分かってら、分かるまい、分かるまい。

世間に理解を求めるがあまりに、人間を理解しようとし、遂に文章に、人間がいないことを知る。仮定の上の、仮定の上の、仮定の上の言葉...根っこにある自己称賛ってな、可愛らしいものもあるめえが、別に破廉恥なって、それは、咎めないが...ああ、ああ、草根蹴る。

ああ、ああ、こんなモン、詰め込んでいては、見失う、見失う、至上の喜び?解説、致すな。それは脳のセロトニン分泌力、うるせえ、蹴るぞ。
即ち、理解されんでええわ。理不尽なんです、したり顔。誰をも責められん、なんて、あまりに物分かりの良い人間、暑くなく、冷たくもなく、口から、放り出させるぜ。痛い目見るぜ、視線から。
笑わば、笑え。泣くなら、泣け。苦しければ、のたうち回れ、その格好は、理解されんだろうが。痛い目見るぜ、視線から。

自分を図式にして説明する手順で、自分を定形化させて、自分削れるってな!魔の所業、手招きぞ。俺は、少し、草根を蹴ってくる。友連れはどうかね。