>>28
よくぞ申した!オマエに新たな知識を授けてつかわそう。

684年…大化の改新から約40年後に紀伊半島より西で起きた地震。ちなみに東側がどうだったのかの記録は残っていない。
887年…藤原氏全盛期で菅原道真が順調に頭角を表してきた頃で、紀伊半島東西ほぼ同時に起きたと思われる。
1096年…紀伊半島東側で発生。
1099年…紀伊半島西側で発生。
1361年…足利尊氏が室町幕府を開いて23年後に紀伊半島東側で発生。
1361年…紀伊半島西側で発生。上記東側地震とほぼ同時~2日後に起きたと思われる。
1498年…北条早雲が活躍し日本がそろそろ戦国時代に突入した頃、紀伊半島東西同時に発生したと思われる。ちな東側の方が大きかった模様。
1605年?…関ヶ原の戦いから5年後、南海トラフ地震なのか不明。揺れは千葉県南部が酷く山が崩れたと記録にある。しかし津波の被害は高知県が最も大きかった。津波は千葉県犬吠埼~九州まで広範囲に被害を及ぼし、八丈島も含めて日本全体で5千人~1万人の津波による死者が出た模様。
その一方で日記好きの京都の貴族や奈良の坊さん達の記録に特に地震の揺れに関する記録は無い。
1707年…忠臣蔵の赤穂浪士討ち入りから4年後(ちな、その年の年末に江戸で大地震が起きている)紀伊半島東西ほぼ同時に発生。この2ヶ月後に富士山も噴火している。
1854年…ペリー来航の翌年、紀伊半島東側で発生。
1854年…上記東側地震の32時間後に紀伊半島西側で発生。
1944年…終戦1年前に紀伊半島東側で発生。
1946年…終戦1年後、上記東側地震の2年後に紀伊半島西側で発生。

以上、過去記録に残っている南海トラフ地震の記録。
注意すべき所は南海トラフ地震は紀伊半島南端辺りを起点に東西に別れ、必ず東西連携して起きていると言う事。
つまり南海トラフ地震は2度セットで起きる。先に東側(静岡沖~三重沖)で起きる事が多い。
ついで最短で同時もしくは数時間後、ながくても2年以内に同規模の地震が西側(和歌山沖~高知沖)で起きる。
周期は90~250年間隔程度で最後に起きたのは77年前。確かにソロソロと言える時期に差し掛かってはいるが、本命はあと10年後ぐらいからだ。