- 吉田聡はドン・キホーテである -
マニュアルだらけの時代である。ビジネスマンになるのも、つっぱりになるのも、マンガ家や将棋指しになるのも、マニュアルが用意されている。進路を決めたとたん、手引書に従ってコース通りに勤めなければならない。

それがいやさに、進路を決めずに時間をかせぐと、結局どの辺に収まるかというマニュアルも出来ちまっている。 僕の前に道はない。自分は荒野へ歩み出すのだと、一寸前の詩人は戦慄と気負いをこめて語った。自分達凡俗も、その言葉にそれなりの意気を感じた時代に比べて、今はなんと生きにくいのだろう。 ぼくの前には広い舗装道路が、それも大渋滞した道路しかない。横町に踏み込んでも、そこはタウンマップにとっくに登録済みの看板と店だらけ。立ち止まれば後から押され、こずかれ、ズルズル進んでしまう。損のないよう決められた道を進むしかない、そう感じている若者がなんと多いのだろう。 吉田聡の作品は、その世相に対する一貫した意義申し立てである。「湘南爆走族」はその傑作であるが、まだ世間に出る前の囲われた学園生活での大騒ぎという部分を持っていた。主人公の江口達が卒業した後、どう生きていくのか……印象的なラストシーンと共にその想いが自分の中にずっと残っていた。 「湘爆」以後の彼の仕事を見ると、作者自身がその後の江口達について考え続けているのが判る。囲われた学園という舞台を、世間としての学園に捉えなおすことで、答えを出そうとしているのだと思う。膝を折ってしまった、あるいは折れかかった少年が、いかに自分の脚で立つかを、彼は熱を込めて語ることで答えようとしていった。「スローニン」は地味な作品だったがぼくは好きだった。本書の三編もいい。特に「ダックテール」はとても好きだ。 自分の脚で立とう。 習った言葉でなく、自分の心を表す自分の言葉を探そう。 そうすれば、大渋滞の舗装道路の中にあっても、荒野を前にして立つ戦慄と熱き想いがあるのだと、吉田聡は絶叫しているのだ。 ドン・キホーテである。

ぼくはドン・キホーテが好きだ。

-宮崎駿ー(「バードマンラリー 吉田聡傑作短編集」あとがきより)