もし社会に全く認められなかったら
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無職かいわゆる底辺労働
親兄弟も亡くなったり、連絡が途絶えたりして、自分は独身で一人暮らし
特に地縁や血縁もなく、日常をただただ過ごしている もし自分がそういう立場だったらと思うと怖くて仕方がなくなった
テレビやSNSの向こうに見える世界は別世界に見えるだろう 家族親族と離縁して独りになりたい人も同じぐらいいる そう考えていて、ふと思いついた
いわゆる陰謀論に染まっていたり、親露派の人にはこんな人が多いんじゃないか
今の価値観が思いっきりひっくり返ることを期待しているような >>3
究極自分で離縁に近い状態にすることは可能だと思うけどな
ごくごく一部、どうしてもアレな家族のケースはあるだろうけど 離婚して親権向こうで一人暮らしとかなら全然違うと思うんだよ
まだ愛情を向ける対象が存在してる また、高齢独身でも社会的立場がしっかりしていたり
歳の差事実婚からの死別とかでも全く違うと思う
そういうのもほとんどない状態、これは怖いと思う そして今は幸か不幸かネットがあるんだよな
疑似的コミュニケーションができるから、短期的にはこの怖さを紛らわせることができる 闇バイトとか、痴漢や盗撮、他人に迷惑かけたり
犯罪をしないで細々と生きる、納税はする
それだけで立派だよ >>10
もちろんそういう生き方もあると思うよ
もし自分がそういう生き方をするとしたら
底知れない恐怖があるなって思ってさ 色々考えてるうちに、結局仕事かなと思うようになった
仕事が「嫌だけどお金のためにしていること」の間は
かなり厳しいかもしれん 孤独は慣れるし、
人間みんな孤独だよ
電車で例えると、自分が乗っている車両に一時的に他人が乗って来るけど
みんな目的地は違うからバラバラと降りていく、そしてまたバラバラと乗って来る
でも最終的に自分自身の目的地は自分だけがたどり着くもの
人生一時的に人とワイワイやる瞬間はあるけど、最後の最後は一人だよ
それをわかってれば何も恐怖は感じないさ それでも家族がいればまだ違うのだろうけど
家族無しで自分の食い扶持のためだけに嫌な仕事をするってのは相当きついわ >>13
言いたいことはわかるけど、そういう孤独と少し違うんだ
自分が急に死んでも、気にしてくれる人がいない恐怖みたいな感じ
同じ孤独死でも、子供が世界のどこかにいるかどうかでは違うという感覚 ある一定の年齢になってしまうと、それから家庭を持つのはすごく難しくなるんだよね
そうなれば、どこに生きがいを見つけるかって、せめて仕事に持てればよいのだけど
それもダメだとかなり厳しい 享楽主義者として生きることは可能だけど
ある程度年齢が行ってからの享楽主義者デビューって難しい
あっという間に破滅するか酸っぱいブドウを見続けるか これあれだ、やっぱり最後の救いは宗教しかないよ
新興宗教より伝統宗教の方がいいと思う
キリスト教とかコミュニティもあるし、よさそう 宗教に属してコミュニティの中にいれば、少なくともこの手の孤独からは逃げられるし
生き方や哲学といった話ですらも先人の知恵が得られる
今のところこれが最適解だわ まずは家族を作れるか、持てるかだな
これがあればまあ、俺の言う意味の孤独は避けられる
家族がダメだったら、次は仕事だな
仕事に自分である種の満足ややりがいを感じられていれば
対社会という意味で孤独は避けられる
家族もダメ、仕事もダメだったら、最後は宗教
これは強力なセーフティーネットだよ
いやーすごい発明だわ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています