ミヒラクラ王の破仏

5世紀中期にアフガニスタンで勃興し、5世紀末にはグプタ朝と衝突し、ガンダーラ・北インドを支配したエフタルでは、その王ミヒラクラ(英語版)(Mihirakula、在位512年–528年頃)の代に、大規模な仏教弾圧が行なわれた。

この王のことは、『洛陽伽藍記』に附載される、北魏の官吏宋雲と沙門恵生の旅行記『宋雲行記』に見ることが出来る。ミヒラクラは、

>>ゾロアスター教系と思われる天神火神を信仰し、仏教を弾圧したとされる。←これ天照大神

弾圧された仏教側では、この事件を契機に末法思想が盛んになり、東アジアに伝えられることとなる。


関西人は日本人ではない。