https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%83%A9%E5%A4%A7%E8%99%90%E6%AE%BA

日本軍兵士が満州や中国でもやってきたようにフィリピン人に対しても気に食わないと平手打ちをしたが、アメリカナイズされたフィリピン人の多くは自分たちを紳士と考えており、頬を叩かれることが最大の侮辱であった。フィリピン人を研究した軍政監部の閣僚たちはそのことを理解しており、軍にフィリピン人に平手打ちをしないよう要請したが、それは徹底されず、なかにはある部落で尊敬されていた部落長を日本兵が平手打ちしたため、その部落から復讐されて分遣隊の日本兵が皆殺しにされるという事件も発生した[

この頃のフィリピン人が異口同音に言っていた皮肉は以下のようなものであったという。
「スペインは教会を与えてくれた。アメリカは道路を作った。日本は八紘一宇と言うが何を与えてくれるのか」

ゲリラ支配地域に入ってしまった日本兵や日本人住民は多くが殺害されて、頭部や性器など重要器官を切断された遺体となって発見された。

パナイ島の日本人漁民十数名がゲリラの支配地域であるギマラス島に向けて漁に出たことがあったが、一人も帰ってくることはなく、のちに日本軍が漁民の遺体を発見したときには見るも無残な状態であった。パナイ島のゲリラは全員がマチェットを持っており、日本人を殺害するとバラバラに切り刻んでいたという[29]。その後、パナイ島にもアメリカ軍が上陸してきたが、大量のゲリラに圧倒されていた日本軍と多くの婦女子を含んだ日本人住民は山に逃げ込み、追い詰められた日本軍と日本人住民は集団自決をはかって多くの死者を出している。


ダメだこりゃ
台湾や韓国がマシに見えるな