前田慶次という戦国最強の武将凄すぎるでしょ
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ヽ ’´ | ヽ ヽ // / | 現実では身長が150cm未満で前田家の雑魚キャラだったのが惜しいよな そんなことより一献くれまいか
心して飲め百万石の酒ぞ そも利家のがよっぽど派手で漫画の主人公みたいな人生送ってるんだよな~ 利家の欠点は重度のろりこんであることと信長との夜のことを自慢することだけだよ 利家が180cm前後なのは着物から推測されている
慶次がチビなのは鎧から推測されている じゃあ慶次が秀吉の前で猿のモノマネやったのとかもガセなの? まず秀吉と会えるのかね?何せ相手は関白太政大臣だし。前田慶次って官位あるんだっけ? 実際に死装束で秀吉に会いに行ったり二回目は黄金の磔台掲げて死装束で秀吉に会いに行った伊達政宗とかいうエンターテイナー さればこそ
天下無双の大傾奇
前田慶次の朱柄の槍にてござ候 東海市のきたねえ海沿いにでっかい日本製鉄の工場地帯あるけど
あれもたまたまあそこに出来たんじゃなくて元は武器とか作ってて技術があったから製鉄所に発展したのかね
場所的に目前が三河で尾張側の軍需工場があったとしてもあり得るし
尾張のあのへんのは今は何もないところでも製鉄に関係する地名がかなりあるんだよ 前田利家 ← 槍の又座と呼ばれて下っ端の兵から戦って大大名に登りつめた豪傑
前田慶次 ← 坊主をグーパンした逸話しかない 荒子って地名がもうガラ悪そうだよな
昔からの地名らしいが >>34
信長のお気に入りの茶坊主ぬっころして全て没収され呼ばれてもない戦に来て一般兵として戦ってるから… 呼ばれてもない戦に来て首を挙げてもスルーされるって
完全に下っ端の兵として戦ってる 影武者徳川家康に出てくるほうが史実に近そうなんだが作者もよくあそこまで思い切った書き分けするなと感心した >>35
荒子、甚目寺、笠寺、竜泉寺は大須を中心として配置されてるし歴史は古いからね >>13
本多忠勝も猛将だけどあの時代は猛将多いから甲乙付け難い あ、なんで東海市と勘違いしたかわかった
東海市に荒尾って地名あるから荒子と間違えてた
距離としてもそう遠くないし、昔あのへん調べてたときに「このへんの人間、どんだけ荒いんだよ」って思ったからその記憶だ
土地が未開発=荒いのほうかもしれんが >13>42
強い武将は悲しいエピソードを隠す傾向がある。本多忠勝は幼い頃に父親を亡くし、初陣から常に叔父が忠勝をサポートしてきた。
そして本多忠勝が一騎で敵の前に立ちはだかり大活躍したと伝わる『一言坂の戦い』(家康が武田信玄相手に大敗してウ〇チ漏らした三方原の戦いの前日に起きた前哨戦)で、実はこの叔父は戦死している。
詳しい状況は伝わっていないが、おそらく本多忠勝の身代わりになって亡くなったのだろう。戦争は甘くない。 >>21
つーか本来の伝承では「最上勢に負けてから活躍した」んだよ。コレは最上側に記録にも前田慶次の名前は出てこないが
「(本来負けたらスグ逃げ出すハズの)浪人勢(早い話傭兵)が驚異的な粘りをみせた」とある。前田慶次はこの傭兵部隊に所属していたんだ。 >>48
上杉対最上なら鮭延秀綱が一番の猛将の功績なんだよな
前田慶次はそれに比べて確証がない >>25
可観小説という江戸時代初期に書かれた本にしか出てこない。作者は前田家に仕えた文学者で直江兼続の血縁者。
ちなみにこの本にはこの時代に「竹島を朝鮮に奪われた」と記載されていて、五代将軍徳川綱吉を批判している。 >>50
ま、歴史は勝者によって作られるから当然やね。 >>39
信長自身が「首取り無用」って命令出しちゃってるのに、ソレ知らなかったとは言え2つも3つも首取って来ちゃったからね。
信長が無視し続けたらまた取りに行っちゃって信長が側近に止めるように命令出した。困った子ちゃん。 「利いたふうな口をきくな!」
「バカヤロバカヤロ!」
「ばか、あほう、うすらとんかち!」
「むくちゃ、もぐちゃ」
「もう戦争だろうが!」 利家とまつが努力してきただけ
前田慶次郎って加賀藩のために仕事なんかしてねえだろw >>52
むしろほとんどの史料は明治まで残った藩(勝者側)が集めた物だから
戦国~江戸で滅んだ国や改易された藩(敗者)の史料の大半は紛失
前田は勝者側だから史料集めまくった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています