吉田監督は13年前の春、やはりエースを連投させて涙を呑んだ経験がある。初出場の清峰を率いて臨んだ2006年の選抜大会、決勝で対戦した横浜に0-21と、大会記録の最多失点、最多点差で大敗。

 このときの一番の敗因が、エースの有迫亮の投球過多にあった。有迫は準決勝までの4試合38回をひとりで投げ抜き、球数は570球に上っている。2回戦の東海大相模戦は延長十四回で193球、準々決勝・日本文理戦、準決勝・PL学園戦は2試合連続完封で、PL戦はエース・前田健太(のちに広島カープ、ドジャース)との投げ合いだった。

 しかも、準決勝と決勝の間に休養日があるいまとは違い、翌日の決勝で2連投となった。有迫が疲れていないわけはなく、2回3分の0で4失点するや、吉田監督はすぐに降板させている。「私は投手と心中する監督ではない」という言葉の裏側には、そういう06年の苦い記憶があったのだ。


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