当時の柴田は「お光教[注釈 2]」という新興宗教に傾倒していた。柴田は312空で犬塚豊彦と意気投合し「お光教」を紹介され犬塚以上に熱心になる。柴田が横須賀の庁舎にいなければ省部(海軍省・軍令部)か「お光教」の本部がある蒲田にいるとされ、頻繁に蒲田詣でが行われた。入信の強要はしなかったが部下を連れて行き、龍名を付けてもらい、部隊内でも使われた。お告げで部下の転勤辞令を出すこともあった[42]。部隊運営に大きく影響していたため、312空を「神様部隊」と揶揄する声もあった[42]。