太平洋戦争の日本軍機に少し詳しいけど質問あるかな
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大戦末期は技術力低下して五角形のナットとか出てきたってホント? >>3
男は戦場送られて町工場で慣れない女学生なんかが戦闘機やエンジン作らされたからね
完成した飛行機がまともに飛ばないのばかり
特攻機も10機出撃すると2、3機はエンジン不調で戻ってくるくらいの稼働率だった 現存機が見られるオススメの場所ってある?
遊就館、国立科学博物館、山梨自動車博物館、大和ミュージアム、各務原航空宇宙博物館、紫電改展示館、知覧特攻会館は行った >>5
すごいな 遊就館、国立科学博物館しか行ったことない 大和ミュージアムは出張のついてに寄ったけど休館日だった >>6
実用化された日本軍戦闘機の中では4式戦疾風と並んでトップ >>8
飛燕 彗星などV型水冷もあるにはあるよ ドイツから図面もらってのコピーだけど
ただし工作精度が悪くて故障ばかり さらに前線ではまともに整備できる整備工がほとんどいなくてこれまた稼働率悪かった >>7
関東なら山梨だけど自動車博物館はなかなかいいよ
隼とか、主翼ないけど一式陸攻とかある
8月しか開いてないうえにアクセス悪いという難点はあるけど >>14
ほうほう あと所沢の航空発祥記念館は昔行ったわ >>16
海軍機のほうが圧倒的に機種は多いからね
でも一番好きなのは疾風 >>13
ググってみて
北海道までソ連が攻め込むのを食い止めた戦いだよ
ちな五式戦には「一式戦 隼」「二式戦 鍾馗」「三式戦 飛燕」とか名前が付いてないみたいだけど何故? >>18
なぜだろう ちなみに5式戦は飛燕のエンジンが故障だらけで使えないから急遽星形空冷を押し込んだやつ 想像だけど陸軍機は〇式戦が正式名称で愛称は後からつくので名付ける前に終戦になったのかと 零戦21型とか52型とか色んな型あるけどどんな違いがあるの? >>21
主としてエンジンのパワーアップ あとは翼端カットして速度アップ狙ったり
ただし大きな違いはない 英軍のスピットファイアがものすごいパワーアップして最後までドイツ軍機と互角に戦ったのはと比べられない 零戦32型は21型より性能が上だが、翼を切り詰めたことにより航続距離が短くなり、基地と戦地を往復できなくなってしまったそうです(二号零戦問題)。 >>19
でも陸軍最強の戦闘機って言われてるよね
海軍の零式艦上戦闘機はパイロットの間で操縦しやすいと評価されてるけど、乗り手を選ぶ戦闘機って知ってた? 軍機つーか空母が作れる使えるってすごい事じゃね?
よく離陸とか着陸とかできるよな >>25
乗り手を選ぶといっても海軍の戦闘機は事実上零戦ばっかりだから戦闘機乗りが「零戦合わないから他のにしてくれ」とは言えないからね
操縦が難しいと言えば欠陥機雷電のほう上 >>28
船がないしあってもソ連軍の潜水艦に沈められたしね >>26
WW2で実際に空母を製造・運用できたのは、アメリカ・イギリス・日本だけでした。
ドイツもイタリアも、開発はしたものの結局運用できませんでした。 >>21
一桁目の数値は機体の、二桁目の数値はエンジンのバージョンを表してる
最初は11型だったけど、翼を畳めるようにして21型を作ったり
翼を短く切り詰めて、エンジンも新型に換装したのが32型
その後21型の機体に、32型と同じエンジンを搭載した22型というのも作った
戦争末期には機体もエンジンも改良した64型というのを作ったけど未完成のまま終戦 零戦は後継機の製作が上手くいきませんでしたからね…。
陸軍機は順調に開発が進んだんですけどね。 >>30
じゃもし空母作ること出来なかったらアメリカにケンカ売るなんてアホな事しなかったかも? >>33
海軍は武装の違いは甲乙丙でつけてた
◯◯型の武装だけ変えたやつは◯◯型乙、とかね ちなみに米軍の13ミリ機銃弾は薬きょうが長くて弾が長くまっすぐ飛んだ
日本軍機の20ミリは当たれば威力は高いけど初速が遅くてすぐに放物線描いて落ちるからギリギリまで接近してから撃たないと当たらなかった >>27
何でだろね?
ググってはいないが確か大型のエンジン…火星??積んでたよね?
馬力あった割には揚力が今ひとつだったのかな?
格闘戦に余り向いてなかったのかね?
でもエンジンが大きいから操縦席が広かったみたいだね
後から間に合わせの過給器取付けたみたいだけど >>38
エリコン20mm機銃は当時大砲って呼ばれてたよね >>35
ちなみに、世界で初めて空母を作ったのは”日本”です。
1922年に作られた空母”鳳翔”が、世界初の空母です。 >>39
対大型爆撃機迎撃機として開発された機 そのため上昇力を得るために爆撃機用の大きなエンジンを積んだ
しかし大きいエンジンを機体前部に積むと前面投影面積増えて空力悪いから機体中ほどに積んで長いシャフトでプロペラ回した
そのため振動が激しくテスト機は空中分解するなどしてテストパイロット数名死亡
この振動は実用化された後も完全解決してない
さらに戦闘機なのに短い翼のため空戦能力が低く敵戦闘機に簡単に食われる だから戦闘機なのに零戦の護衛が必要という本末転倒な存在になってしまった 燃料の備蓄がないから水で薄めて使ってたってマジなの? >>41
世界初の『空母として設計された空母』だな
それまでも大型の船を改装して空母にする例はあったけど
本当に空母として作り、最初に完成したのが鳳翔 >>44
水じゃエンジンかからない 松根油と言ってそこら中の松を切り倒してその根から油を搾ってガソリンに混ぜた
当然オクタン価低いからエンジン不調でパワー出ない >>41
語弊があるだろ
はじめて空母として建造されたのが鳳翔 >>44
さすがに水はない。水入ったらエンジン壊れちゃうし
ただハイオク入れなきゃいけないところにレギュラー入れて調子がイマイチになることはあった そもそもなんで空母という概念がなかなか育たなかったかと言うとさ
船から離陸して船に着陸するという技術自体がわりとパイロットの才能に左右されてたかららしい。訓練で海の上の短い滑走路を利用できる人材が少なかったと >>43
やっぱりB-29迎撃用に特化したせいなんだね
フォルムは格好良いんだけどなぁ >>49
離着陸特に着陸は陸の空港にするのも難しいのに動いてる船に着陸するにはパイロットの高度な技術が必要
空母は前方に進むだけじゃなく上下にも動いてる 強い波で船がいきなり上がったタイミングで着艦すると脚が折れることもあった >>50
戦後米英軍がテストした結果の評価は良くない >>27
雷電ですか…あの”ずんぐりむっくりな”機体が特徴的な局戦ですね。 >>51揺れるの関係あるん?そこまで知らんが
当時のヨーロッパの人々は南極大陸におけるテラ・ノヴァ号の失敗例を教訓としてて、畑は違ってもロバート・スコットのような机上の空論での開発を禁忌とする風潮ができていた
だから海上にミニ基地があったら便利という発想を思いつくのは簡単でも実行に移されず、むしろそれをやったアメリカや日本は最初バカにされてた >>53
B29は1万メートル以上を高速で飛べたから届かないし届いても当たらない
一方米軍は大戦末期には近接信管実用化していたから日本軍機は対空機銃でバタバタ落とされた エンジン残念だからなぁ
飛燕や五式戦にロールスロイスのエンジン載せたいなぁ >>53
確かスゲー威力の高射砲があったよな
B-29を2機貫通したとか >>55
艦爆パイロットの戦記に書いてあった
さらに夜の着艦となると神業レベル レーダー無い時代だから広い海で母艦見つけるだけで大変
かなりのパイロットが戻れなくて海に落ちて亡くなってる すまん追加で質問させてくれ 日本軍機の垂直尾翼あたりに書いてある文字は何を表してるの? >>56
VT信管のことですね。
マリアナ沖海戦では、これによって多くの日本軍機が落とされたんですよね。
アルミ箔(チャフ)をバラまけば無力化できるんですけどね。 ロバート・スコットは机上の空論で南極点到達の計画を練った
古い時代の毛皮の防寒着や犬ぞりでの移動を改革し、当時最新技術の化学繊維の防寒着やエンジン付きのソリ、そして犬よりも移動力が高いのか当たり前の馬で南極点到達を目指した >>56
機銃弾にはVT信管使わんだろ
何いってんの? >>58
久我山にあった高射砲が有名だね
落としたB29パイロットはパラシュートで脱出したけど日本人に惨殺されてる >>58
久我山だったか
B-29が避けて通ったとか >>63
大型機の対空機銃(旋回砲塔)は使ってなかった? >>24
32型を見た米軍は角張ったフラップを見て「新型が!?」って報告したみたいだね >>62
一方、昔ながらの犬ぞりを使ったアムンゼンは、無事南極点に到着しました。 >>67
そういうのはよくあって新型海軍機が陸軍の対空射撃受けたこともあった >>58
五式十五センチ高射砲やな
俺の爺さんの部隊で米軍機落としたって死ぬまで自慢してたけど、死後に婆さんに聞いた話では、「その時は非番でいなかった」って暴露されてた 結果はエンジン付きのソリは1つは南極大陸の上陸の際に海に落ちて沈むという失態から始まり、結局南極大陸に降ろせたエンジン付きのソリもすぐに全部故障、馬も南極なんかで活動できるわけなくみんなすぐに凍死、最新技術の化化学繊維の防寒着も汗を蒸発させずに中に溜まるという大欠点品。結局スコットたちは人力でソリを引っ張りながら南極点を目指すことになる
そして南極点についたのは他の国の探検隊が南極点についてから1ヶ月も遅れてからになった。個人的には1ヶ月遅れたとか関係なく人力でソリを引いて南極点まで歩いて着いたほうがすげーよと思った 当時のヨーロッパの軍はそのロバート・スコットの失敗談が神話のように語り継がれ、前衛的な開発を嫌う傾向にあった
とくに国のお金で莫大な開発費をかけたエンジン付きのソリを船から南極大陸に安全に降ろす計画が拙かったこと、ロバートが犬を舐めてたことが禁忌とされ。その概念は戦争にも通じると考えられていた だから海上に基地を作るという計画はどの国も思いついても実行しなかったわけだね 日本軍機はデザインではあまり評価されてないんだけど唯一欧米で評価高いのが100式司令部偵察機 犬と言えばキスカの奇跡ことコテージ作戦
wikiのテンプレがおかしな事になってる
日本軍戦力:軍用犬2匹、看板1個
ペスト患者収容所の看板を訳してしまってパニックの発端になったのはドナルド・キーン先生 紫電改使ってたどっかの部隊あったけど
稼働率高かったの?
それとも普通の稼働率? パイロットがうんことかしっこしたくなったらどうしてたの?
垂れ流し?
爆撃機とか搭乗員が多い機体にはトイレはあったの? >>80
末期も末期の導入だから稼働率はかなり悪かったはず
日本は空襲で設備も人もやられて点火プラグすらまともに作れなくなってたからね
戦後米軍が疾風の点火プラグとオイル類を全部米国製に替えてテストしたらすごい速度出してる >>81
余裕があるときはボトリングして風防空けて捨てていた
余裕なきゃたれ流し 当時の中国て戦闘機作れなかったの?もう文化衰えてた? >>79
それ知ってる!
確かアメリカ軍とカナダ軍だったよね
戦死者200人だっけ?
駆逐艦まで被弾してるって何故🤔
濃い霧が原因らしいね >>88そういや前にVIPでスレ立ってな
スレタイも犬視点で面白くてお前らマジレスつっこみの嵐だった。なんで2頭しかいないのに2頭とも司令官なんだよ?みたいな アメリカが勝利したのは単純な物量差ではなく、過剰なほどの人命尊重システムだった。
アメリカの軍機は海に沈みにくい構造になっており、搭乗席にはパラシュートだけでなく小型ボートもあった。 >>90
全てが違った
米軍パイロットは2週間前線で戦ったら2週間安全地帯で休暇の繰り返し
日本軍は死ぬまで前線 最後は特攻 日本軍機にパラシュート積んでないと思われがちだがちゃんと積んでるからな
そもそも座席の設計がパラシュートを座布団にする構造だからな >>92
人にもよるんじゃないかな 有名な坂井三郎さんは積んでないかただの座布団にして着用してなかったかのどっちかだったと思う >>92
パラシュートだけだと、海で漂っている間に”低体温症”を起こします。 >>94
>>95
たれ流しの小便が染み込んで腐って開かないことが多々あったらしいからな
長距離作戦やるラバウルなんかでは特に >>96
零戦で片道三時間でしたからね。
しかも自動操縦装置も無かったですし。 誰か葛根廟事件知ってる人いる?
あの胸糞悪い出来事(# ゚Д゚) >>98
戦争末期に満州で日本人1000人以上(しかも9割が女性と子供)がソ連軍に虐殺された事件ですね。 日本は”技術”はあっても”資源”が無かったんですよね。
資源さえあれば、多くの新兵器を開発できましたね。
世の中は、不公平です…。 >>102
兵器だけでは勝てません
大戦中米軍はレーション実用化してましたが日本軍は最後まで飯盒で米を炊く状態のまま 最後はその米すら枯渇 >>102
技術あったか?
マザーマシンの精度低いのにさ 日本軍機には計画のみに終わった幻の機体も存在します。
超大型戦略爆撃機”富嶽”などがその例です。
実はどこか秘密の地下空間に、試作一号機のみ存在していたら…と考えるとロマンがありますね。 山をくり抜いて作った航空機工場とか残ってないのかな 水上戦闘機とかいうやつ
島嶼部進出時に島の飛行場が用意できるまでのつなぎとして考えられてたのに開発完了した頃にはそれ以上進出できなくなっていたんだよな いや紫電改は陸上戦闘機だろ
水上戦闘機の強風を元に再設計したのが陸上戦闘機の紫電
性能がイマイチだった紫電をさらに全面的に改修したのが紫電改 >>110
桜花が一部木製 飛行機と言えるか微妙だけど >>111
基本設計は強風でしょ だから元はと書いた >>118
実際は放つ前にほとんど敵戦闘機に一式ごと落とされたという悲劇 >>110
特攻機つながりで、中島キ-115「剣」 木製機体がどうたら言うてるが英軍は普通に使ってたぞ
布張りも >>122
防弾防炎の燃料タンクだったからこそじゃない? >>125
デルタ合板(ベニヤ板)ですね。
アメリカからジュラルミンが供給されるまで、ソ連の機体は木製でした。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています