江戸時代「旅行いく?」「行く行く!」
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じゃあ水戸黄門って引退してから徒歩で日本一周ってすごくね? >>6
そこらじゅうに宿場町があって
当たり前のように遊女がいた >>7
渡し船を今のフェリーみたいな感覚で使うやつ一人もいないぞ 飛脚は手紙だけじゃなく荷物も運んでた
おみやげとか運んでた
今の宅配便と変わらない >>6
街道沿いには宿が整備されていた
東海道五十三次とは
五十三の宿場町があった事 まあ参勤交代とか鹿児島から東京まで団体で歩いて行ってたし 江戸時代、旗をふることで
大阪~江戸間を2時間かからずに情報をやり取りできたらしいな
おもに米相場のやりとりらしいが
すごくね? かつて伊勢神宮の周りは吉原に次ぐ遊郭街で
お伊勢参りとは精進落としと称しての風俗ツアーだった >>22
あと伝書鳩がわりと速達の通信手段だったんだよな
使えるのはお偉いさんだけだったみたいだけど 江戸時代の庶民はお伊勢参りや大山参りぐらいしか旅なんかしなかったぞ 盗賊みたいなのに遭遇する確率ってどんなもんだったんだろ 宿には飯炊き女がいて10代の仲居さんが夜になると接待してくれる お上が国の金で街道に果物のなる木を植えまくってて通行人は食べ放題だったみたいよ
腹も減るし喉も乾くからな それだけ突然思いついて出発できて
しかも往復歩いて旅行できるくらいの期間仕事休めるのすごい 五十三次って何キロ置きに宿場待ちあったんだろ
昔の人は一日で何キロ歩けたんだろうね >>33
さすがに突然には無理や
富士参りや大山参りには講というものがあって年間計画で運営されてたんやで >>41
思いつきでいってたもんでもないのか
そりゃそうか >>19
これ、琵琶湖渡るなら船で行くと早いけどちょっと
寄り道した方が情緒あっていいよ、って意味なんだってな 神仏に参るという大義名分があったからこそ仕事も休ませてもらえたんや
子供が小さかった場合は留守中の家族の面倒も町内で引き受けた >>42
長屋のみんなが金出し会って誰かが代表で行ってたらしい
みんなに願い事書いた紙渡されたりしてたみたい
途中でなにがあるかわからないから今生の別れみたいな感じで出発した模様 馬も車輪もあったのに何で海外みたいに馬車が作られなかったんかな 伊勢参りは集落で費用を積み立てて
健脚なやつが代表で行く
土産話が仕事 お伊勢参り行きたいけど行く金も暇もない…
せや、代わりに犬に行かせたろ! 伊勢参りとか宗教的理由が無いと手形が貰えないって読んだ >>50
土産話する時めちゃくちゃ気持ちいいだろうな
自分の喋る事全部に観衆が目を輝かせて聞いてんだから >>54
というか花魁風に化粧させて相手させるショタ風俗がわりと普通の時代・・・ >>47
最後はのたれ死んで無縁仏かな
きついよな >>47
夜鷹ってのは病気して店に置いてもらえなくなった女性だったのか 江戸のやつらは白米ばっか食ってたから脚気が流行ってた >>61
んなわけない
よくハンガーノック起こして倒れ込んでた
その客狙ってボッタクリ送料で運行する駕籠が多かった
これが俗に言う「足元を見る」 >>63
人となりは足元に~みたいな話じゃなくて体調かよローグライクゲーみたいな時代だな >>37
江戸の町民の5割は梅毒患者で
5年位前に大阪梅田の再開発で発掘された江戸後期の墓地1500体の遺骨の3割にも末期梅毒で顕著な骨病変が確認されている ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています