●「コミュ力至上主義」は創造を枯渇させる
コミュニケーション能力を求めるべきは個人よりむしろ組織

公務員採用の現場に詳しい方に聞くと、最近は成績優秀でもコミュニケーション能力が低そうな人は採用せず、むしろ少しヤンチャで、コミュニケーション能力が高い若者を採用する傾向が強まっているのだという。どこもかしこも「コミュニケーション能力」。しかし昨今の「コミュニケーション能力の高い人」は、コミュニケーション能力が高くない人を排除しがちな「コミュニケーション能力の低さ」を感じさせる。

「この人は天才だ」と私が思っている研究者がいる。だが、誰にでも人当たりがよいわけではない。そのせいか、素晴らしい業績を上げているのにいま一つ浮かばれない。

●包摂する工夫、工夫が生むイノベーション

 とある水耕栽培農家を、特別支援学校の先生が訪ねた。ネギの苗を植えるところを見た先生が「この仕事、うちの生徒にもできそうだね」と言ったのを聞いて、農家の方は腹を立てたという。実はその作業は、ベテランにしか任せられない繊細な作業だったからだ。

数日後、先生がまた来て「ちょっと試させてほしい」と言うので様子を見ていると、プラスチックの下敷きをネギの苗一列に押し当てて、一気に、しかもキレイに植えた。農家の方はビックリ! ちょっとした工夫でこんなに簡単にキレイに植えられるなんて!

 障碍者の方は、健常者と同じようには動けない。だから、道具で工夫する発想が身についている。しかもその工夫は、健常者の作業効率も劇的に高くなる。器用な人間だけで作業していたら思いつきもしなかった発想だ。
その農家の方は、毎年一人ずつ障碍者を雇い、その方が働くための工夫を考えるようになったという。その中で生まれた工夫は、健常者の作業性も向上させるそうだ。

組織こそコミュニケーション能力を高めるべき
 昨今の日本では、コミュニケーション能力が低いとされる人物は雇われにくい。しかし、それは組織・社会自体がコミュニケーション能力を失ったためではないか。そのために多様な人材を活かす力を失い、イノベーションの芽を自ら摘んでいるのではないか。