実父のATMになり摂食障害・自殺未遂を経験した話
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今年ようやく回復しました。
辛い思い出ですが忘れたくないので、ここで語らせてください。
セリフとか細かいところはうろ覚えもあります。
この話の核になる人物
・俺(当時21歳)
・姉
※幼少期に両親が離婚、2人とも母に引き取られ母子家庭で育つ。
・実父(離婚後も頻繁に連絡を取り会っていた、結構近くに実祖父母と住んでいる) 始まりは2017年の終わり頃だったか。
家でゴロゴロしていた夜中に実父から1通のLINEが届いた。
実父「わりぃ、10万円ぐらい貸してくんない?」
俺は目を疑った。
普段から頻繁にやり取りをする友達のような仲だったが、こんなことを言われたのは初めて。
しかし私は知っている。
私が幼少の頃に両親が離婚したのは、実父の浪費・ギャンブル癖での借金が原因だったことを。
俺「何かあった?」
実父「理由は聞いてくれるな、頼む。」
俺「ごめん、今お金厳しくて。」
実父「そっか。悪かったな、今言ったことは忘れて普段通り接してくれ。誰にも言わないでほしい。」
俺「わかった。」
母からは、「誰であろうと金の貸し借りはするな」と教育されていたため適当な嘘をついて断った。
次の日からまた普通のやり取りに戻った。 それから年が明け2018年の2月頃。
俺の貯金がだいぶ貯まってきたので、夢だった語学留学をしようとバイトをやめニートに、出国までの2か月ほどを勉強に費やす。
勉強期間中は母と同じ空間にいることが多く、その日も母と街中ドライブをしていた時の事だった。
実父から着信。
事前にLINEなしに電話が来るのは珍しいと思いつつも、電話に出る。
実父「あ、俺か?わりぃな。10万円貸してくんない?」
頭が真っ白になった。
また言われると思っていたからではない。
隣で運転している母にもし聞かれたら大問題になるからだ。
俺「わ、わかったわかった、今ちょっと出先だから後で!」
といって電話を切った手は震えていたし、心臓はバクバクだった。
母に視線をやると不思議そうな顔をしていた。
しかし聞かれている様子はなかったので一安心。 LINEで実父と話をする。
俺「また?」
実父「すまない。」
電話で二つ返事をしてしまったことと、過去を知っているので今また極限の状態だったとしてもいなくなったり死んでほしくはなかったのがあり、今回は貸すことにした。
俺「最初で最後だからね。」
実父「わかった、本当にわるい。」
後日、10万円を渡す。確か手渡しだったと思う。 短期の語学留学から帰って半年ちょっと過ぎた2019年の1月、俺は派遣で大きな会社に勤めることになった。
そしてまもなく2月、初めての一人暮らしを開始する。
実家とは車で30分ほどの距離でそれほど離れてはいない。
仕事はホワイト、一人暮らしは充実。
全てが上手くいっていた。
そんなある日、仕事の昼休憩中にスマホの通信が切れていることに気が付いた。
スマホのSIM契約は俺が高校に上がった時に実父からもらったもの。
その晩、自宅のWifiを使い実父にLINEで連絡をしてみた。 俺「SIMの通信切れてるんだけど、なんか契約変えた?」
実父「わりぃ、支払いできなくて今止められちゃってんだわ。」
困った。
当時毎日連絡をしていたアメリカ人女性と連絡が取れなくなってしまう。
俺は考えた。
俺「支払いをしたら直後に通信がつながるようになるの?」
実父「そうらしい。」
俺「...支払いはいくら?」
実父「15万円。」
俺「わかった。セブンいこう。銀行から15万円下ろすからそれで支払って。」
実父「本当にすまん。」
直後に通信は再開された。 >>12 そうなんですね
じゃあもうすでに2か月分滞納してたってことか ある時は実父が家に押し掛けてきた。
ピンポーン
実父「今一人か?」
俺「え?まぁ、うん。」
趣味の料理撮影の真っ最中だった。
実父「ちょっと邪魔するよ。」
俺「え、ちょ」
半ば強引に部屋に押し入る。
実父「本当にすまない、後10万円だけ貸してくれ。次の給料で返す。」
俺「えぇ...」 同年の9月後半だったか、またSIMの通信が途絶えた。
また自宅のWifiを使い実父にLINEで連絡。
俺「また止まった。」
実父「すまん、もう10万円だけ。」
俺が実父に貸した金額が49万円になったところで、俺の中の何かがプツンと切れる音がした。 人のことATMとしか考えてないのが身内にいるとマジでつらいよな ◆◆◆
10万円を封筒にいれ、実父から借りていたTシャツにくるんで持ち、家を飛び出した。
たどり着いたのは自宅からバスで20分ほど離れた実祖父母&実父宅のマンション。
顔を見せに来たわけではない。
スマホからSIMを取り出し、プラスチックケースに入れる。
そして10万円をくるんだTシャツとSIMをポストにぶち込む。
実父家族との縁切りを決意したのだった。 借りるの意味がわかってないし約束を果たしたことなんて一度もないからな その後自宅に戻る。
30分〜1時間した後だったか、自宅のインターフォンがなった。
直感で気づいた、実父だと。
俺は居留守を使った。
インターフォンを何度も鳴らす。
ピンポーン、ピンポーン!
ドアを叩く、ドンドンドン!ドンドンドン!
ドアの郵便受けを開けては、家の中を確認している。
俺はパニックになって涙を流しながら声を押し殺した。
既に俺の精神状態は異常だったのかもしれない。
ここで反応したら、殺されると思っていた。 少ししてそれらは止み、歩いて去っていくのが分かった。
ほんの2〜3分の出来事だっただろうが、俺は何時間にも感じていた。
実父に恐怖を覚えたのは生まれて初めてだった。
世の中にはもっと多額の貸し借りをしている人がいると知っている。
しかし金額は問題ではない、裏切られたことのショックが大きかった。
愛されていると思っていた実父に、今はATM同然に見られているのか。
そもそも最初からATMとして面倒を見られていたのか。
そんな考えすら脳裏によぎる。 >>26
俺が幼稚園の頃に両親が離婚して、姉と俺は母に引き取られたんです。
ただ俺は生まれつき身体が弱く、それを心配してか離婚を感じさせないふるまいをしていました。
ほぼ毎日うちにきて、普通の家族のように。
離婚していたと気付いたのは、なかなか実父が家に来なくなりその後義父が初めて家に遊びに来た時の事でした >>26
母と義父の再婚後も俺と姉は実父家族とは今まで通りの仲だったので、考えれば不思議な家族です。 高校生でも親の許可あれば携帯の契約できるのにな。大人になってまで親に支払って貰ってるのに違和感しかない。 生まれつき身体の弱かった俺の通院に毎回付き添ってくれた。
一緒にネトゲを始めたら、いつの間に俺より強くなっていて笑った。
中学高校の部活の大会には1度たりとも来なかったことはない。
俺が脳梗塞を起こし、一時は寝たきり、半身不随で回復困難ともいわれた病床に駆けつけ、毎日顔を出しては「毎日来られてうざいと思ってるだろうけど」と言っていた。
語学留学で初めて海外に行って、迎えまでの一晩を非常に治安の悪い空港内で過ごさなければならなかった時に、夜がけるまでLINEで連絡をしてくれていた。
そんな実父が、今はまるで違う。
俺は一晩中声をあげて泣き、1瓶のウイスキーで気を紛らわせ、嘔吐し、気絶した。 >>32 22歳ぐらいまで病院も一緒に行っていました。
変わってるんだろうなとは思ってましたが、多分、家族縁的な意味でお互いを繋げる口実だったんだと思います。 2年前から糖質制限・脂質制限・カロリー制限・PFCバランス調整などで、かなりキツめのダイエットをしていた。
そのため拒食症を患ってる。
しかし昨日の一件で精神状態が変わったのか、今度は狂ったように食べまくった。
早朝にコンビニに行きアイス5個、ポテチ10袋、クッキー3袋、購入、完食。
そして吐き戻す。
夜は業務スーパーで買うようなフライドポテトを3kg分揚げる、完食。
そして吐き戻す。
夜中にコンビニをハシゴ、おにぎりを買い占める、完食。
そして吐き戻す。
休日は昼間からUber Eatsを数件ハシゴ、完食。
そして吐き戻す。
夜はファストフード店をハシゴ、完食。
そして吐き戻す。
いわゆる過食嘔吐。
指を突っ込んでは涙目になりながら、時には喉から血を出しながらの嘔吐。
すぐに自律神経はボロボロになり、男の過食嘔吐なんてと誰にも助けを求められず、出社しなければの使命感が唯一の生命線だった。 1カ月後。
帰宅後に郵便受けを見ると、「5/49」と書かれた封筒が入っていた。
中身は5万円、初めての返済だった。
さらに1カ月後。
今度は「3/44」と書かれた封筒が入っていた。
中身は3万円。毎月返済するつもりだろうか。
しかしその2度だけで、以後封筒が届くことはなかった。 制限型の拒食だからその量食べる前に限界で吐く自信あるぞ 12月、実父方の祖母が体調不良で入院をした。
祖母も祖父も大好きだ。
従妹2人と一緒にお見舞いに行った。
どうやら正月には退院できるが、今まで通り活発に動くことは困難な模様。
毎年正月に祖母が色んな料理やおせちを振舞ってくれるが、それも厳しいだろうと思った。
幼少から料理が好きで得意な俺は、祖母に変わって正月の料理を担当すると言った。
祖母の家に行くことは、実父も会うことになる。
しかし祖母の前では、実父と今まで通りに接することにした。 年が明けて2020年、俺24歳、厄年。
いい感じだったアメリカ人女性との決別、摂食障害、うまくいかない趣味、職場移転による仕事への不安、孤独感、そして実父の件。
全てが同時期に重なり、いよいよ俺の精神が壊れていった。
人と楽しく話している最中、急に鬱な気持ちになって何も言葉が出てこなくなる。
何かに迫られたかのように行動するもすべて空回り。
人間関係リセット。
大量のアルコール摂取。
過食嘔吐。
昨年始まった過食嘔吐で最初は100万円あった貯金は既に底を尽きていた。 あれ、IDかわった。>>1です。
確か8月終わりか9月初め頃、それは起こった。
いつも通り過食嘔吐に疲れての気絶から目覚めた時、ズボンの尻ポケットに違和感を覚えた。
何か入っている。
取り出すとそれはタバコ1箱、銘柄はマルボロ・ゴールド。
俺はタバコは一切吸わない。
なのにどこでどうして。
それよりもこのマルボロ・ゴールド、実父が愛煙している銘柄だ。 ID気のせいでした笑
1日中仕事は上の空で考えた挙句、ついに姉に打ち明けることを決意した。
帰宅途中に姉にLINEで俺宅に来るよう頼む。
最初は近況報告とかしていた。
そして姉が俺に問いかける。
姉「今日はどうしたの、なんかあった?」
俺「...実は...」
俺はポケットからマルボロ・ゴールドを取り出して見せる。
姉「...これどうしたの、吸ってんの?」
俺「わからない、ただ吸ってない。」
「朝目が覚めたらポケットに入ってたんだ。」
姉「...?」
俺「あとな、もう1個ある。」
姉「うん」
俺「俺、実は人に金貸してるんだ。」 姉「...実父?」
俺は驚いた。
俺「なんでわかったの?」
姉「当たり前じゃんわかるよ。」
「だって私も貸しているから。」
俺は頭が真っ白になった。 姉曰く、
・お金を貸し始めたのは俺が貸すよりさらに前
・俺には絶対に借りないことを条件に貸していた
・実父をのたれ死なすわけにはいかないので必死に資金繰りした
・結果姉自身も消費者金融に手を出すようになった
・消費者金融の借金の返済は叔母(母妹)が肩代わりしてくれた
金額こそ聞かなかったが、俺の貸した額じゃ比にならないのかもしれない。 それでも姉は強かった。
同時に摂食障害を打ち明けると、克服を全力でサポートしてくれることになった。
実父には俺からの借金を姉経由で返済させるとのこと。
この件は誰にも言わない、特に母と祖母には。
姉「何かあったら電話して、すっ飛んでいくから。」
ちなみにマルボロ・ゴールドを持っていたのについては、
俺が心の底のどこかで昔の実父を求めていたから、無意識化で買ってしまっていたのでは?ということで煮え切らない結論となった。 さも解決に向かいそうな、そんなシチュエーションは束の間。
そう簡単に過食嘔吐は治るものではなかった。
朝と言えばコーンフレークということで数箱購入、結局一気に完食。
そして吐き戻す。
食パンなら一枚一食で分かりやすいね、結局1袋一気に完食。
そして吐き戻す。
姉がこんなに色々考えてくれているのに俺は情けなくて、罪悪感とストレスがたまった。 当時21なら成人なんだからMNPすりゃいいだけなのに何度も繰り返す>>1も大概無能やな 早朝の過食嘔吐を終えいつも通り出社したある日。
上司「どうしたの俺君、なんか調子悪そうだね。」
俺「いや、風邪じゃないんですけど、ちょっと喉やっちゃって。」
過食嘔吐でボロボロになった喉から出る声は、はたから聞いたら風邪声だった模様。
昼食を食べ、午後の仕事に戻ると上司が再び声かけてきた。
上司「はい俺君、のど飴。」
といって未開封ののど飴をくれたのだ。
何故だろう、その時に私のすべてが吹っ切れた。
そしてなぜかこう思った。
俺(あっ今日死のう。) おそらく、風邪声は自傷行為の結果ともしらずに労ってくれたやさしい上司に顔向けできないとか思ったんだろうか。
死ぬならせめて1ついいことしたかった。
その日は12歳年下の妹の誕生日。
少ない有り金1万円でAmazonギフトカードを買い、そのまま実家へ。
俺「妹、誕生日おめでとう。」
「何に使ってもいい、ただ本当に必要と思う時に使いなさい。」
こんな感じの事を言ってAmazonギフトカードを渡し、帰路についた。 もはや俺の意識はあってないようなものだった。
ここから先の記憶はあまりなく、あくまで状況証拠からの推測。
持病の薬を皿に盛る、15回分ほど。
そして一気に胃の中に流し込む。
そして気絶するように寝る。 15分経ったくらいか、ハッと目が覚める。
正気に戻っていた。
あたりに散らかる薬の袋ですぐに気が付いた。
オーバードーズだ。
持病の薬は血をサラサラにする薬で、過剰摂取をすると体のいたるところで出血を起こし、脳出血などから死に直結する。
トイレへ駆け込み、のどに指を突っ込む。
胃の中の水分を出せるだけ出したと思う。
次にコンビニへ走る。
その薬の効果を著しく低下させるため禁忌とされる納豆を購入。
タレもかけずに貪り食った。
そして姉にLINE
俺「やばいやばいやばいやばい」
姉「どうした?」
俺「俺、死のうとしてた。」
姉「今行く、待ってて。」
仕事を切り上げ、タクシーで駆けつける姉。 20分ぐらいで姉到着。
冷静になっていた俺に少し驚いたそう。
状況を説明すると、
姉「大丈夫、大丈夫。」
ずっと笑顔だった。強かった。 さすがに俺を一人にはできないということで、姉夫婦の家に泊まることに。
翌日病院に行き、事の説明と検査をした。
検査の結果は異常なし。
ただしメンタルヘルスに通うことになり、抗うつ剤も処方された。 用できたから1時間半後ぐらいまでスレ残ってたらくる
主ガンバ その後、実家へ向かった。
楽しい雰囲気で談笑する中々切り出せず、家族LINEに投稿。
俺「今日病院に行ってきた。」
するとまじめなトーンで母が切り出した。
母「なにがあった?」
ここで姉が初めて涙を流し始め、事の説明。
(実父への金貸しは隠した、多分知ったらそれこそすべてグチャグチャになってしまいそうで)
うまくいかないことが重なった事、
摂食障害に苦しんだこと、
自殺を図ったこと。 義父「お前(俺)、今の家解約して帰ってこい。」
「自殺しようとまで考えてしまう精神状態を理解してやることはできないが、ここに入ればみんなお前の些細なことにも気づくことができる。」
「何がお前を追い込んだのかは聞かないし興味ない、ただ無事でいてくれればいい。」
俺は涙が止まらなかったが、心底ホッとしてたぶんさわやかな顔してたと思う。
1人で悩むべきじゃなかったんだとこの時悟った。 実家で生活を始めてからは克服に励む日々だった。
仕事は順調にいき、以前の友人とも再会できた。
摂食障害は暫く続いた。
最初のうちは家族に内緒で外で食べた後に家の夕飯を食べ、こっそり買いこんだお菓子を食べて吐き戻すなどしていたが、
次第に面倒に思えてきて自然と克服していった。 金をくれ というのはプライドが許さないから 貸して ってい言うんだよな返す気なんかないくせに
俺は2000万円くらいATMにされたわもちろん生活費とは別にな そして9カ月弱が過ぎた2021年の6月初。
一人暮らしを再開した。
8月、実父方の祖母が危篤になった。
1年以上あっていなかったので後悔しかけたが、俺の問いかけに祖母は目を見開いて驚きまた嬉しそうだった。
数日後、祖母が亡くなった。
このあたりから実父とも普通に会話するようになっていた。
どうやら返済は少額ながらも続けられているらしい。
俺は実父の事が決して嫌いなわけではないので、信頼を取り戻そうとする姿を見守ることにした。 今年2022年の4月には職位昇進。
5月には、抗うつ剤の投与やめ。
メンタルヘルス科には通わないで良いことになった。
2022年はまだまだいいことあるかも。
こんな風に思えるようになったのは大きな進歩。
時には悩む時があってもいい。
でも悩みは分かち合おう。
今度は俺が誰かに手を差し伸べられるのであればとてもうれしい。
相変わらずお金はカツカツだけれど、俺今生きてて案外楽しいです。
以上。 実家に強制送還された後はトントン拍子で回復にむかっていきました。
それもこれも母・姉・義父のおかげです。
実際にはこの期間に実父との件の進展もありましたが、良い方向に向かっている、とりわけ書くほどでもないので割愛しました。 ただの吐き出しでしたが、最後まで見てくださった方ありがとうございます。 あいに裏切られ病んで
あいによって回復したんやね
やっぱりあいって大事 浪費癖のある父親に過食の息子
自制心の効かない性質がガッツリ遺伝してんね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています