仏教にも死後の世界とかあるけど誰が見たの?
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死ななきゃ行けないなら現世の人に知る手段はないと思うんだけど 生死の前後に何も無いなら
無から意識が生まれて無へと意識が帰ることになる
しかしそんなことは現在の物理学で有り得ないとされている 釈迦「死後の世界なんてあるかないかなんてわかるわけねーだろ そんな無駄なこと考えるより目の前の苦や悲しい克服する方法考えろ」 >>13
アイデアのひらめきみたいなもんだな
まぁアイデア自体組み合わせに過ぎないが
無の中の何かが組み合わさって生になり
死へと向かい新たな無の中の何かになる 死後の世界とか言って金とってる坊主はもう名前だけの仏教で別物だと考えていい >>13
パソコンが粉々に破壊されてもその電気信号やデータは何処かに残ってるとか言ってるのと同じ >>18
仏教は心身二元論だから残ると考えるんだよ間抜け 逆だぞ
今自分の自我が存在するということは、死後何らかの状態によって自我が存在する可能性が無限に存在する。
その時どのような姿形かは分からない。(下手したら肉体も何もなく思念のみが存在するかもしれない)
可能性は無限に想定でき、耐えうる状況のみを想定する(天国に行く、完全なる無になる、生まれ変わる等)のは全て楽観視である。
どのような状態か断言できない以上、どのような状態でも左右されない精神を得なければいずれ恐ろしい死後に直面する。
欲に左右される心のまま、全てを失い自我だけが存在するならばそれは地獄である。
今この肉体で苦行の果てに静寂の心(悟り)を得られれば、仮に死んだ後どのような状態になったとしても、そこは涅槃である。
という哲学の元悟りを目指す奴らが現れ、悟りを開いた釈迦が現れたのが仏教の始まり みんな輪廻の課程で見てるじゃん?
お前が見たものがソースだよ >>19
物理のはなししてるんでちょっと黙っててくれるかい
仏教の話ならこちら>>14 >>21
仏教は輪廻転生が起きるとか言う宗教じゃない 子供を食わせるために盗みをした母親が地獄で焼かれる話 簡単に言うと死後は誰にも断言できないからどのような状態になったとしても左右されない身を目指すのが悟り
輪廻はその時その時の己の心が生み出す世界の見え方を例えたに過ぎない 意識の存在を証明せよ
人工無能を再現なく高度にしていったときそれに意識は宿るのか >>25
事実だから仕方ない
原理主義と言うか全く別物でしょ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています