伝承の上での宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘www
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武蔵は一対一の約束に反して弟子四人を引き連れ巌流島に渡り、
決闘では武蔵は小次郎を仕留めることができず、小次郎はしばらく後に
息を吹き返し、その後に武蔵の弟子らに撲殺されたとある。
小次郎の弟子らは決闘の真相を知り、反感を抱いて武蔵を襲撃するが、
門司城に逃げ込み、城代沼田の助けにより武蔵は無事落ち延びた
『沼田家記』より 約束の時間にわざと遅れてきて「小次郎敗れたり」と叫んで一人で小舟から降りて
小次郎の物干し竿が繰り出す剣撃をかわして鍛え抜いた二天一流の奥義で勝つかっこいい武蔵は? 武蔵は卑怯者だけどそれも強さの一種だからなあ
そもそもの武士道の「正々堂々と一対一勝負するのが武士」って価値観のほうが
どっちかというと現実から離れた考え方 >>2
碑文によると武蔵は遅刻してない
ちゃんと時間通りにきて試合した 吉川英治の小説『宮本武蔵』では、「武蔵が決闘にわざと遅れた」となっているが、
これは『武公伝』に材を採った吉川の創作である。
Wikipediaより >>9
宮本武蔵も佐々木小次郎も巌流島も一応は実在したっぽい
伝承や伝記など残ってる >>12
そこまでは知らんかった
まあ投石くらって伸びるだけで済んでるのは凄いのかもしれんが 『五輪書』(ごりんのしょ)は、宮本武蔵の著した兵法書。
剣術の奥義をまとめたといわれる。
寛永20年(1643年)から死の直前の正保2年(1645年)にかけて、熊本県熊本市近郊の金峰山にある霊巌洞で執筆されたとされる。
自筆本である原本は焼失したと伝えられる。写本は細川家本を始め、楠家旧蔵本・九州大学本・丸岡家本・狩野文庫本、底本不明の『劍道祕要』収録などがある。自筆本が現存せず写本間での相違も多いことや、武蔵の時代よりも後の価値観に基づく記述が多いこと、さらに同時代の文献に武蔵が五輪書を書いたと傍証できるものがない。 武蔵は強いことは強かったんだと思うが伝記はだいぶ脚色されてる
しかもどこからどこまで史実かはっきりとわかってない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています