白村江の戦いで唐に敗れた百済王子扶余勇は、九州北部に南遷し、
大宰府を中心とした51kmの羅城の小国を築きました。
扶余勇は国号を「南扶余(百済)」から「日本」に改めました。
この小国は東に展開し、近江まで進出しました。
この扶余勇を日本書紀は天智天皇と諡号しました。

参照サイト「国際的視点からの古代史考 扶余勇=天智天皇」