仏教って弟子達が仏像作らなかったほうが良かったんやない?
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言うてギリシャに征服されてヘレニズム持ち込まれるまで作ってなかっただろ ブッダは経典を一冊も遺していない
ブッダは仏像を一体も遺していない
ブッダは墓標を一切望まなかった
大衆部(のちに大乗仏教になる)のバカどもがブッダを火葬して分骨した
大衆部のバカどもが数々の経典を書き残し、幾多の仏像を造ってきた 仕事でも、上司からいろいろ教わったら
それはメモにとる それがお経
上司の像を作って、上司を拝め、なんて
意味不明な上司はいない 仏像は宗教というより内面トレーニング法みたいな感じでも良い気がするけどなぁ
唯一神様の概念ないし 仏教には上下関係などない
覚者の説法を聞いて個人で悟るべし 仏教はあくまで心の教えであり決して現世利益を望めるものではない
神秘的なオカルト分野は神道や陰陽道や修験道などでやってろ、が基本
↑これらを足したのが大乗仏教や密教だから話しがややこしくなってる ブッダ君の教えをより複雑にした弟子達。
プラトンやアリストテレスみたいな弟子はブッダ君にはいなかったの? まともな弟子は師に倣って黙々と自分の修行に専念したが
ファンみたいな弟子が師を持ち上げようといろいろ盛っていったんかな >>25
いや、どっちかというと
オイラーの論文が今でも編纂されてるように
弟子は後にならんと仏陀の経典をまとめきれなかっただけ ブッダが相手に合わせて教え方変えてたから弟子たちの意見に統一性がなかったのも複雑化の原因 ゴータマはマガタ国とコーサラ国の間500kmの道のりを浮浪生活してた
そこに幾つかの修行団体が合流して教祖になることを頼まれ、承諾した
それがシャカ教団でありこの教団の形成こそがブッダが犯した過ちの始まり
仏教には経典は一冊も要らない
仏教には仏像は一体も要らない
仏教には葬儀は一切しなくてよい
仏教には団体は一つも要らない >>29
経典なしって口伝って事?
それじゃあ早いうちに失伝しちゃわない? >>30
口伝のソースが分からん
誰が言ってるのか知らんが 経典には如是我聞とあるから
メモ魔はいただろ 普通に考えて まぁでも2000年も前だから最新の科学的根拠に基づいた要点だけ絞ったものが欲しいわ ゴータマは「対機説法」というスタンスで言葉を選んで教えてた
相手の理解力と精神(主に依存状態)に合わせ言葉を選んで説法してた
また「無記」と言ってオカルト神秘的な問い掛けには一切答えなかった >>33
科学を根拠にするなら科学教
仏典を根拠にするなら仏教 >>33
仏教自体そもそも輪廻っていう現代的価値観に照らし合わせたら非科学的なものが前提だからそれは無理 科学的根拠とか言っちゃうと悟りって完全に発狂した状態のことだし… 悟りを言葉で伝えようとすると十人十色な発言で説明がされるが
本当に悟った者にはそれらの言葉がすべて同じだと理解できるが
凡人にはそれが理解できないため理解不十分なまま迷ってしまうことになる 全てのものは繋がっている。
生命は1つだったんだと感覚で理解するのは本当なのか? まずゴータマが生きていた当時のインドではバラモン教が一般的だった
このバラモン教というのがまさに心の教えとオカルト神秘の融合宗教で
ゴータマはそのオカルト神秘的な部分をすべて排除して仏教を教えてた >>40
本当だよ。これはオカルト神秘ではなく「認識による分別」を無くせば
すべてのものに対して「認識による分別」という境目が無くなり同じになる
ただそれだけのこと >>45
ソースは?
>>46
というものは地獄に堕ちると
法華経にある たとえば精神科では「自我の崩壊」は悪いものとして捉えるかもしれんが
仏教において自我の崩壊は修行における重要な通過点であり必須条件
凡人は自我という自己性を守ろうとするが、それを自ら瓦解させるのが仏教 >>48
だいたいの人は地面に縛られて生きている
物理現象から逃れられない 地獄 ソースは実際に悟った覚者である私の発言がソースそのものだ >>51
仏陀に成りすましてデタラメをいう悪魔が
たくさん出てくると経典にはあるが 天界(兜率天)があって
精霊界があって
人の世がある
らしいが、こんな話しをするのは決して仏教ではなく神道やそっちのほう >>54
いや神道に教義はないらしいが
何を言ってるんだ ※これは仏教の話しではないが一応書いてやるか
魂は核となるコーザラル体と精神を司るアストラル体と肉体を覆ってる
エーテル体の三層構造になってる。コーザラル体だけが生まれ変わるが
死ぬとアストラル体とエーテル体が剥がれて全く別人に生まれ変わる
仏教でいう輪廻転生はこれとは別の意味で、心の移り変わりを指した言葉 兜率天には如来とか明王とか天部とか観音とかと神とも呼ばれる者らがいて
人の世と兜率天の時間には大きな開きがあり、兜率天の方がずっと長い
人の世の数分が兜率天では数日だったりするし、神どもの寿命は偉く長い
こういう話しは本来の仏教とはまったく関係のない話し インドでは、プラーナ
ドイツでは、エーテル
中国では、氣
と呼ばれるものがこの世に見えない力として存在しており
これを大乗仏教では「空」とも呼ばれ、その集合体を神道では神と呼ぶ
大乗仏教の大日如来もこれと同じで、それが怒ったときに不動明王となる こういう話しをしてる時点で、本来の原始仏教(シャカ仏教)においては
バラモン教に回帰してるぞ。と指摘されるものであり、まったくその通りだ カバラ魔術における、中央の柱
仙道氣功における、周天功
ヨガにおける、チャクラ
こういうのも同じものであり、これらはエーテル体を体内で練り上げ
神に近づこうとするオカルト神秘の者らが着目する修行法、呼吸法 心の教えを超えたオカルト神秘に行きたいならば、これらの修行でもしてろ
本来のシャカ仏教ではこういう類いの話しは完全に除外したものである ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています