雅仁親王(後白河天皇)の息子

天皇家の対立の中、保元の乱を経て、保元三年(1158)、二条天皇が即位

元々自分の中継ぎとして即位した父・後白河院とは対立し、徐々に天皇の親政に移行する
「天子に父母なし」と仰せられたという

永万二年(1165)、俄に病を発して、生後数カ月の息子・六条天皇に譲位するが、まもなく崩御
23歳