裁判の冒頭陳述や証言などによると、小関被告は山形県の小さな町にある父の実家で生まれました。初孫として、祖父母にもかわいがられながら、育ちました。そこから車で1時間ほどの米沢市に引っ越した後は、両親と妹の4人で暮らしていました。

 中学で打ち込んだのはソフトボール部。ピッチャーとして、チームを地区大会に導くなど活躍し、母親も「自慢の娘でした」と裁判で証言するほどでした。

 一方で小関被告は、ソフトボール部内でいじめを受け、「ブス」と言われていました。スポーツバッグにごみを入れられるなど、いじめは陰湿なものでした。被告はリストカットを繰り返しますが、いじめを家族や友人に相談することはありませんでした。当時の心境を法廷で次のように語りました。

 「コンプレックスがあった。容姿については特に自信がなく、自分でもブサイクだと思っていた」

 自己肯定感が低く、周囲に自分の意見を言わなかった小関被告。唯一相談できたのは、高校2年から交際していた1学年下の野球部の男子生徒。次第に、男子生徒に依存していきました。暴力を受けても、「この人を失うのは怖い」として離れようとはしませんでした。被告が高校卒業後に男子生徒との子どもを妊娠。しかし、被告の親は、相手がまだ高校生であることなどを理由に中絶をすすめ、被告は、泣きながらそれを受け入れました。

 「自分は自信がないので、こんな私でも求めてくれる。うそでも優しくしてくれたり、人として認めくれるのはこの人しかいないと思った。この人を失ったら、認めてくれる人を失うということ」
 
 高校を卒業し、地元企業に就職してからも、人間関係に悩みました。
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詳細は向こうで読んでほしい。とにかく悲惨の極みだから